菰野の川@
赤 川
 川は昔から菰野町を形作り、生活用水や灌漑かんがい用水としての利用や、洪水といった自然災害などを起こす「畏怖いふ」の対象でもありました。今回は、町内の主要な河川について、川の名のおこりやそこで暮らしてきた人と川のかかわりなどについてご紹介します。

 赤川あかがわは大字菰野、西菰野集落の南を流れ、金渓川に合流します。その延長は2560mほどで、三滝川水系に属します。その水源は字奥谷おくのたに焼尾やけお涼原すずはらなどの通称南山みなみやま前山まえやまとよぶ小谷の降水、湧水を集めて流下しています。
  赤川の上流部に位置する「奥溜」は、寛文(一六六一〜一六七二)のころ、菰野藩三世雄豊かつとよが最初の土木事業で大改修を行った、菰野で一番大きい農業用の貯水溜でした。昭和五十七年には三重用水事業の一環として、南側の丘陵と山を削り取り、ダム本堤の盛土に用い、菰野調整池として貯水能力は旧奥溜の五倍ほどに増強されました。現在、中里ダムをはじめ5箇所のダム貯水池や用水管などの管理運営の中心事業所があります。
  赤川の呼称の起こりは、この赤川周辺の地質が、水沢扇状地と桜丘陵にはさまれた、第三期層群の泥岩と砂岩の互層から成り立ち、その地層から滲出する水は鉄分を多く含み、西菰野あたりで俗にいう「ソブミズ」で、湛水すると鉄分が浮いて赤褐色を呈します。そのことから赤川と呼ばれるようになりました。阿古あご阿漕あこぎ、赤河など、地名学的には南方海洋の稲作民族用語の一つともいわれ、近くの四日市市県地区に「赤水あこず」の類似地名が見られます。
  昭和五十一年に、この赤川の改修事業が着工されて、上の方からブルドーザー等の重機で川底を浚渫しゅんせつし始めたところ、川底の下から枝と根が幹についた立木そのままの杉の古木が何本も重なり合って出土しました。重機が苦労して掘り取ったその底から、丸木舟も発見されました。これは昔、気候の温暖な時代、この西菰野南丘陵は、神代杉が繁茂していたと推定できるものです。
  この赤川には、飛越、山分、松葉などの井堰が設けられ、付近の水田を潤す大切な用水でもあります。昔は大門とよぶ井堰の上下には、ふななまずうなぎがたくさん棲み、子どもたちのさかな取り、泳ぎ場でありました。
 近年ホタルをはじめ、鮒、諸子もろこが戻ってきて、すいすい泳ぐ姿も見受けられます。また「赤川自然に親しむ会」が結成されて、流水の浄化、生物の保護に努力されています。        
                                                      協力 佐々木一さん

町内の主要河川 最近ホタルが戻ってきた赤川。後ろの斜面は三重用水菰野調整池の本堤。
最近ホタルが戻ってきた赤川。後ろの斜面は三重用水菰野調整池の本堤。