菰野の川A
金 渓 川

 金渓川は大字菰野の南を流れ、支流の赤川、瀬戸川、振子川を合わせて宿野、神森へ下り、その延長は七、四一八m、三滝川水系に属します。
  その水源は鎌ヶ岳の前峰、雲母ヶ峰(八七五m)、吉良良山(八八八m)の谷々の湧水を集めて流下します。これらの地層は古生代層で、主に砂岩、凝灰岩、石灰岩が見られます。ことに金谷には石灰岩の露頭が現れ、また、少量のマンガン、黒雲母の埋蔵もあります。雲母ヶ峰は今は雲母峰と呼ばれていますが、すぐ隣にある吉良良山と混同されていることがあります。
  金渓川の名の起りは、種々の鉱物を含む山から水源地を金谷と称し、川の名は「谷」を佳名(よい名称。縁起のよい名)の「渓」に当てたもので、現に菰野藩の儒学者南川金渓は、生地の西菰野を流れている川の名を取って金渓と名乗っています。
  水源地の金谷に祀る「金谷不動尊」は、毎年6月28日に不動祭りを催していますが、古い文化九年(一八一二)の帳籍が残されています。この不動堂の近辺には喜左衛門、四郎兵衛屋敷などの古屋敷が残っており、棚田を開発して米を作り、五、六軒ほどの人が隠棲していたようです。
  金谷は、地質が黒土に石灰岩を含む肥沃な土地で、そこに生える薄、篠は栄養分に富み、この草を刈って牛の秣に与え、また、田畑の緑肥に用いました。安永六年(一七七七)の夏には、この金谷の草地で水沢村と草刈騒動が起り、鎌を振り上げて争う事件も発生しています。藩では金谷の不動堂付近を「御林」に指定、その北方に「熊倉」と呼ぶお狩り場を設けました。
  なお、金渓川は水田の灌漑用水に利用されて、上流から横立、堀切、西垣内、神田、青禿げなど、大小三十余カ所に井堰が設けられて水田を潤し、また、流れは水車を回して籾をすり、米をつく水車小屋が十三カ所もありました。
  この川の支流の振子川は、菰野城の南を流れ、隅櫓から樋の口まではお城の濠の役目を果たし、途中に水門を設けて取水し、城内と城下町東町筋の道の両側を流して、生活と防火用水に利用されていました。
  流れ下った宿野では、巡見街道の錦紗橋の下を、神森では三重橋から智積用水の三十三間洞を潜らせて、間もなく本流の三滝川へ合流します。流域を潤し、恵みの川でしたが、時には雲母ヶ峰に集中豪雨があると、明治二十九年、昭和三十六年には木橋を流失し、堤防を決壊させて大災害を及ぼしました。

「金渓橋」から上流を見たところ

国道306号バイパスにある、その名も「金渓橋」から上流を見たところ。金渓川にかかる廣幡橋の左手に廣幡神社があり、この辺りは桜の名所でもあります。
水源の山
町内の主要河川