菰野の川 F
焼 合 川

尾高キャンプ場から県民の森へ抜ける東海自然歩道沿いの焼合川の様子
尾高キャンプ場から県民の森へ抜ける東海自然歩道沿いの焼合川の様子

 焼合川は、釈迦岳(1092メートル)と尾高山(533メートル)の間の、 いわば釈迦の内懐(うちふところ)である多くの小谷の渓流を集めて、その流路延長もわずか660メートルで朝明川の支流です。
 福王山や尾高山、近鉄湯の山駅西の蛇不老山は古生層の地質で、その西側の釈迦、国見、 御在所山はその古生層を打ち破って火山活動でできた山といわれています。 つまり福王山、尾高山は年を経た古い山で、後の釈迦岳は背は高いがマグマが吹き止まってできた若い山といえます。東海地方は浅い内海の時代があり、鈴鹿山脈が隆起して海は退き、湖ができ、それを埋めて伊勢平野ができた土地柄で、海になり湖になりそして火を吹き釈迦岳が生れたわけで、その間の天変地異の変わりようは、尾高山が一番よく知っていると思われます。
 この焼合川の名も、父なる山の釈迦岳が火山活動の噴火で生れた山ですので、それから来ている名であるらしく、類似地名に焼山、焼岳、焼石などがあります。釈迦岳の噴火の溶岩堆積が、標高800、600、400メートルの等高線に分布して、おおよそ藤原谷、鳶ヶ谷、石原谷など三つの谷を形成しています。また、焼合谷は、魚止滝、女郎滝の美しい滝があります。水の清冽と閑静な環境がキャンプ村として親しまれ、 夏期はキャンプファイヤーで賑わいます。
 焼合谷の入口には、三重県民の森があって、鈴鹿山脈と植物、生物を学ぶ「自然学習展示館」があります。 昭和五十五年五月には天皇、皇后両陛下をお迎えして、第三十一回全国植樹祭が開催され、お手植えの檜が大きく成長しています。その北部に広がる尾高高原には、黒石原古墳群があって、大小十六基の円墳が西から東へと一線上に連なっています。


焼合川・鈴鹿山脈

 古墳時代の前の弥生、縄文文化時代にもこの焼合川の周辺の高原は、 狩猟と採集を行う絶好地で、高原一帯でその当時に用いた石器、土器の出土例が見られます。
 なお、焼合谷の自然林は、杉谷と榊、竹成の三村の入会山になっていて、薪と柴を採取し、 木炭を生産する山林としてブナ、ナラ類の自然林が大切に守られて来ました。 この入会山をめぐる争論の一つに「竹成村の善九郎」の話があります。竹成の西の外れの杉谷道に「南無阿弥陀仏 俗名善九郎、文政六年(1823)十月二十六日行年二十歳 これより五五町上 焼合川上の藤原谷で死す 竹成若者中」と刻んだ一基の墓碑が建てられています。その意味は竹成の青年善九郎が、焼合谷で炭焼中、大水のため押し流されて死亡したというものですが、これは不慮の災禍で亡くなったとする事件だけでなく、 善九郎が入会山の藤原谷で炭焼をしていた事実を証明する証
(あかし) の一つであるようです。
 焼合川の水利は、三岡用水(杉谷一の瀬)三岡黒石原湯、三岡南坂口湯、榊赤目用水などが木工井堰を設けて取水し、 杉谷、榊地区の水田を灌漑
(かんがい)していました。
竹成にある善九郎の墓碑
竹成にある善九郎の墓碑。
この道を進むと朝明川を渡り、榊地区へ通じます
(増水時は通行できません)