菰野の川 G
杉 谷 川

杉谷地区を流れる杉谷川
杉谷地区を流れる杉谷川  杉谷川は尾高山(533メートル)の山麓に広がる根の平扇状地の谷々の流水を集めて、その流路は3150メートル、 大字小島地内で田光川に合流する朝明川水系の小河川です。
 杉谷川の名の由来は、水源地である杉谷集落の名を取っていて、杉谷村は滋賀県甲賀郡、奈良県吉野郡に同名の地名があり、共に良質の杉材を産出する土地柄です。この杉谷川の水源地もかつては杉の植生に適した所であったと思われます。

 杉谷は、仏教遺跡が各所に散在しており、その中の「杉谷中世墓地」は、昭和38年に行われた発掘調査の結果、鎌倉前期から室町後期に至る納骨陶器と五輪塔石、火葬穴が発見、出土しました。それは在地の豪族及び寺院僧侶の墓といわれ、 中世のころ杉谷が栄えたことのあったことを物語っています。
 尾高観音堂は、本尊千手観音を安置、中世観音信仰の盛んなころは、伊勢観音霊場の札所として、 多くの巡礼者の信仰を受けていました。
 また集落内にある慈眼寺は、十一面観音を安置して、中世に栄えた観音寺、 引接寺、円導寺の跡を継承しています。
 真宗寺院としては翠厳寺があり、文政十二年(1829)建立の本堂は、 名古屋の名工伊藤平左衛門の手になり、鐘楼、太鼓楼などの堂宇も真宗寺院建築の様式にかなったものです。
 翠厳寺の西北に鎮座する熊野神社は、中世に紀伊の熊野三社に関係して、 応永十二年(1405)の「椙谷寺の檀那株売渡状」が那智大社に残されていて、神仏混交の歴史を伝えています。
 杉谷の集落は、南に西三岡、東三岡の離れた小集落があり、近年尾高野あたりに住宅化が進み発展が見られます。
 杉谷の水利としては、尾高の高原一帯に高見溜をはじめ大小十四基の溜池を築き、杉谷川の灌漑用水を補う役目をしていました。なお、杉谷川から取水する井堰は、一の井用水のほか、田光、小島、榊地区の水田を灌漑していました。

杉谷川と尾高の高原一帯
 朝明川本流に田光川、杉谷川が合流する地点の大字小島字中長島にある「永井頭首工」は、 圃場整備事業で近代的な頭首工に改善されましたが、この永井大湯水は、 江戸初期に桑名藩の許しを得て築造されたものです。杉谷川の川尻に井堰を設けて取水された水は、 朝明川の川底を木製の樋管を埋設して通水し、南側の堤防下に開口部を設けた難工事でしたが、 杉谷川の安定した流水を取水可能にしました。 今も井出神社付近の水田を潤す大切な用水となっています。
 農業水利の確保は、各所に随分と苦心工夫を重ねたあとが見られますが、 昔は十日も日照りが続くと干ばつに悩まされ、自然の降雨は神や仏に雨ごいするより道はなく、 そのために雨ごい踊りを催して、お宮やお寺に繰り込み必死の祈願を行いました。 今無形文化財の杉谷嘉例踊りは、この雨ごい踊りを伝承しているものです。


豊に水をたたえる朝明川と頭首工
豊に水をたたえる朝明川と頭首工