ふるさとの山 1
ふるさとの山を見てみれば

 

山の写真

  前号までは「菰野の川」シリーズとして、町内の主要河川を紹介してきました。この「母なる川」に対して今回は、「父なる山」と言われるように、菰野町の風景を代表する、雄雄しくそびえる鈴鹿山脈の山々について紹介します。
  今月はその前段として、鈴鹿山脈の成り立ちについてご紹介します。
  鈴鹿山脈は北の霊仙山に始まり、南は鈴鹿峠に至る延長約30`の山系です。この山系には主峰の御在所山を始め鎌ヶ岳や釈迦ヶ岳、北の藤原岳、竜ヶ岳、南の入道ヶ岳があり、雨乞岳を加えた山々が鈴鹿セブンマウンテンと呼ばれ登山家に親しまれています。
  鈴鹿山脈の西側は、滋賀県の近江盆地に向かって緩やかな斜面の山地が続いていますが、東の三重県側は急斜面で深い渓谷ができ、河川も勾配が急になっています。これは山脈の生い立ちにかかわることで、成因の一つは山脈の西側と東側に南北方向に断層があり、山の部分が隆起し両側が落ちて山脈をつくったことによるものです。しかも東側は西側の約二倍の落差があって、現在の鈴鹿山脈の山麓線にそって大きな断層崖をつくったために、西側が緩やかで東側が急な地形になったと考えられます。
  この東側にあるのが一志断層と呼ばれるもので、岐阜県養老郡から菰野町を通り宇治山田に至る延長100`を超える断層帯で、近年その一部を県や国が鈴鹿東縁断層帯として調査を行っています。
  以前広報にも登場いただいた日本地質学会会員だった奥郷の故秦 好利さんによると、約1700万年ぐらい前には、鈴鹿山脈は300〜400bの山だったと推定され、それが新生代第四紀になってから、断層と傾動地塊運動によって今の姿になったとのことでした。また、麓から見る山の景色は一体ですが、雲母峰や菰野富士、福王山は地質的には最も古い、日本がまだ海の中にあったころに堆積した「秩父古生層」であり、御在所山や釈迦ケ岳といった高い山は、その地層に入ってきたマグマが固まった花崗岩でできています。
  このように鈴鹿山脈は長い間の地殻変動や風化、浸食作用によって今の姿になったわけですが、この作用が「地蔵岩」「負れ石」といった奇岩怪石となり私たちの目を楽しませてくれ、また、菰野石による一つの産業を育ててくれました。そしてこの花崗岩層に浸透した地下水が、放射能を含んで地表に湧出したのがラジウム鉱泉で、今も湯の山温泉で利用されています。
  鈴鹿山脈はその高低差とともに、日本海側からの気象の影響も受ける複雑な自然環境が、長い間に多様な生物の生育を育み、豊かな自然環境となりました。そして昭和43年7月に国定公園の指定を受けています。

地質概念図
地史上の主なできごと
傾動地塊:
地塊の片側が断層面に沿って上昇し、傾斜の急な断層崖 をつくり、反対側は緩やかな斜面となっている断層地形。