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ふるさとの山 5

国見岳

 

山の写真

 国見岳は、御在所山に寄り添うようにして、しかも山容が丸く穏やかなため目立たない山ですが、頂上からの眺望は伊勢国全部が見渡せ、背後は近江の国の山々が幾重にも続き、遠く養老山地の向こうに美濃と尾張の国を望むことができる、正に国見の山名に恥ない山で、標高は1,170メートルです。
 まず、この山の魅力は眼下に御在所山の北壁藤内壁の偉容が見えることです。垂直に切立った花崗(こう)岩の絶壁、激しい噴火の憤怒の形相と、静かに冷えて平らな石の屏風(びょうぶ)を造りあげた、造化の神の営みに自ずと畏怖(いふ)の念を抱かずにはいられません。
 また国見の頂上には石門、天狗岩、ゆるぎ石の怪石奇岩がごろごろあって驚くばかりです。この山一帯の樹木は、積雪、風雨の気象環境からか巨木は見当らず、低木のツツジ、シャクナゲが多く、頂上から伊勢谷への尾根道筋には石楠花(シャクナゲ)の群落が続き見事な花街道です。
  国見峠を西へ降りると水晶谷から愛知川の源流、御池鉱山跡を右に見て杉峠へ。杉峠の左手に巨大な山塊、雨乞岳が仰がれます。その頂上に雨の神、竜神の棲(す)む池があります。
  国見岳の歴史で注目すべきは、何と言っても、その頂上直下の標高800メートルの高所に、古代から中世にかけて栄えた古刹(さつ)、冠峰山三嶽寺(かんぽうざんさんがくじ)があったことです。この寺は、比叡山延暦寺の直系で威勢のときは、北伊勢の天台系の寺院をその傘下に置き、その位置が深山幽谷であるところから、多くの修験者、修行僧が集る山岳の道場でした。昔は音羽村がその寺領で、年貢米を菰野富士北側の島居口へ、山法師が受領に来たといいます。ここからの鳥居道を登るのが本参道で、脇道は、湯の山温泉から蒼滝の上へ出て、北谷から藤内小屋、兎の耳岩から通じます。この道は割合に平坦な踏分け道です。寺跡には五輪塔石、手洗石が残り、不動滝下には雨乞の「嶽(だけ)の不動堂」が残り、いまも篤(あつ)い信仰を受けています。
 この国見岳の三嶽寺が、北伊勢の惣(そう)寺として信仰を寄せられた中世のころは、薬師如来を本尊として安置し、現世利益、長わずらいで苦しむ人々は、薬師如来に祈願をこめ、その帰途、山中の湯の山温泉に滞在して、湯治療法を試みたもので、中世湯の山の盛衰も、この三嶽寺の繁栄と大いに関係があったと思われます。
 戦国末に天下取りを目ざす信長は、叡山の天台門流を嫌い、北伊勢進攻の際は、ことごとく天台寺院を焼き打ちして、三嶽寺もその災に遭いました。その後は国見岳の高所では再興できず、千草に真宗の三岳寺、湯の山に天台の三岳寺が、その名をとどめているだけです。
 国見岳の内懐ともいえる鳥居道山は、ナラ、クヌギ、カシ等の薪炭材の良材の樹木で、戦後の燃料不足の時期、良質の木炭を産出し、谷々に木炭を焼く窯が築かれて、その煙が青く薄く棚引くのを里から眺められたものです。

天狗岩とゆるぎ石
天狗岩とゆるぎ石。
右手のゆるぎ石は人が乗るとゴトンと音がする。
地図
左が御在所山、右が国見岳
左が御在所山、右が国見岳。中央のくぼんだところが国見峠で、裏道登山道は一端ここへ出てから尾根伝いに山頂を目指します。