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ふるさとの山 7

蛇不老山

 

山の写真

 雲母峰の懐に抱かれるようにあるのが、この蛇不老(じゃぶろう)山です。標高は鈴鹿山脈の鋭鋒鎌ヶ岳(1161メートル)の約半分の高さで514メートルです。
 蛇不老山という、この一風変わった山の名は、鈴鹿山脈内でも他に「竜ヶ岳」「竜王山」(滋賀県日野町)といった名があるように、雨乞信仰と関係があります。 大蛇が年を経ると「おろち」「うわばみ」「くちなわ」と呼ばれ、そして更に変化して天空を支配し、 雨を降らす龍神という神になると信じられていました。
 江戸期には蛇不老山は「笹山」に決められ、この山に生える笹草は葉色もよく、柔らかで、牛や馬に与えると喜び、 また、緑肥として大いに利用されました。殊に山の頂上は平坦で、そこには「紅笹」という葉色の異なる、 草丈の短い笹が一面に繁茂して、そこはこの山の主「おろち」の寝床といわれ「鎌不入(ふにゅう)の場」になっていました。
 ある年の夏、西菰野村の若者が、牛を連れてこの山の東側で笹草を夢中になって刈っていると、 そのかたわらにおろちの子が遊びに来て、刈り草の上に長く体を伸ばし、弁当ふごをひっくり返していたずらをする。 追い払えば車の輪のように丸くなって追いかけてくる。人には危害を加えないが「トンギリ棒」くらいの太さがあって気色が悪い。 そこでこのことを村に帰って庄屋に告げると、これは百姓たちの困る話と、庄屋は藩の役所へ申し出た。 こんな話がお殿様の耳に入り「わしの領下の蛇不老山で、蛇が百姓を脅すとはもってのほか」とお怒りになり、 家老を呼び退治を命じられた。家老は「おろちは龍神のお使い、むやみに殺すわけにはまいるまい」と思案し、 毎年の春の巻狩(四方を取り囲んで獣を中に追い込んでする狩猟)のころに蛇不老山の麓で「大蛇大祓(おおはら)い」の神事を行うことになった。 早速西菰野の平岡神社の禰宜(ねぎ)に「大祓い」を依頼した。春の彼岸前の巻狩りの前に、藩主をはじめ勢子(せこ)役 (獣を追い立てる人)の百姓一同が勢ぞろいして、「大蛇退散大祓い」の祝詞(のりと)奏上のあと、蛇不老山の頂上に向かい、 一同大声をあげ「くちなわでてけ」と叫んだ。巻狩りの総奉行は「大蛇はごら穴にまだ眠っている」と、 鉄砲組に命じて火縄銃で紅笹あたりへ打ち放した。この年の夏から「くちなわ」は姿を見せず、 安心して草刈りができたという、こんな話が伝わっていました。
 話は変わって、蛇不老山の地質は雲母峰と同じく古生層で、石灰石や鉄鉱石、凝灰岩で形成され、 鎌ヶ岳などの花崗(こう)岩と異なり地味が肥え、現在は杉、ヒノキの植林地となっています。 この植林地は南の雲母峰と同様に、明治の先覚者「辻好穎(よしひで)」「薮下五郎」などが、萱山や笹山を廃止して杉、 ヒノキの苗木を植え、それが大きくなって戦後の復興期の小学校、中学校など公共の建築材として大いに役立ちました。

緑肥:植物の茎、葉を緑のまますき込み、腐らせる肥料
トンギリ棒:藁(わら)すずみに突き刺して、吊り運ぶための先のとがった棒で、太いところは大人の腕くらいの太さがある。
ふご:藁で編んだ紐のついたかごの一種
ごら穴:岩と岩が重なった所にできた自然の洞穴

地図 蛇不老山

雲母峰の右前に少し緑が濃く見える三角が蛇不老山。右下へ斜めに平行に走る二つの山の稜線の上に鎌ヶ岳が見えています。