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菰野の街道今昔あさがおイラスト

根の平峠

 先月号では千草道から滋賀県側へ抜ける千草道の歴史を人と物の動きを中心に紹介しましたが、今回は千草の集落から根の平峠周辺の様子を少し詳しくご紹介します。
 千草集落の西はずれの檜の森の中に、千草の氏神、榊原神明社がありました。根の平峠を越える人は、この社にお参りして峠越えの無事を祈り、峠へと向いました。千草集落の西にある石標に「左温泉 右近江甲津畑村」とあります。石標から二キロほど歩むと江戸時代から大正まで「鷺
(さぎ)の湯」という温泉がありました。明治末に千草陸軍演習場ができると将兵の休息場となり、一般の浴客もあって賑いました。そして渓谷の一の瀬へ入ると、明治四十三年に設置された水力発電所があります。朝明川の清洌(せいれつ)な流れの近くは、絶好のキャンプ場として夏は炊飯の煙りと若人の歓声が響きます。
 本流の空石積の堰堤
(えんてい)は堅固に築かれ激流によく耐え、千草石工の腕の冴を誇っています。山にある地滑り防止堤防は、「縄だるみ堰堤」と呼ばれる千草独得の小ダムで、山崩れから守っています。
 真白の砂山である羽鳥峰は、ブナの原生林を備え、西側の広沢谷には珍しい湿性植物群落が見られます。愛知川の広沢の出合から少し北へ入ると奇岩のお金明神が川岸にそびえ立ち、自然の造形に驚かされます。広沢にはじまる愛知川は鈴鹿山系の隠れた名勝で、本格的な登山となりますが、盛夏に渓谷の遡行をお勧めしたい谷川です。大瀞から一時間ほどの行程で根の平峠へ着きます。
 根の平峠から国見岳裏の上水晶の出合までは根笹の平原で、それが名のいわれとなっているようです。この辺りには炭窯の跡があちこちに残っていますが、ここで焼かれた炭は千草から杣人
(そまびと)が入山し、クヌギやカシノキを一山いくらで買い求め、千草へ出していました。
 杉谷の尾高山の下にも根の平という大字名がありますが、これは千草街道が近江と伊勢をつなぐ交易路として繁盛した中世に、杉谷からこの付近に移り住んで背負荷の中継をしていた人たちが、道が次第に衰退したので、杉谷へ戻って山を開いたところに、元に住んでいた根の平の名をつけた、という話も伝わっています。
 道は上水晶の出合に着いて東に国見岳の尾根を望み、七人山の下を御池谷へ入ります。この御池谷の左手には御池鉱山があって戦前は盛んに銅、鉄、亜鉛の鉱石を産出し、この谷で精練されていて、その時にできた鉱滓
(こうさい)(精練時に出る不純物と融剤の化合物)が谷を埋めています。鉱石は叺(かます)に入れて根の平峠から近い千草へと搬出されました。この鉱山は元禄十三年(一七〇〇)ごろ江戸の山師岡田庄兵衛が来て試掘したのが始まりといわれています。現在も採鉱跡の坑道が確認できます。
 この御池谷は、下草が少ないので山全体が明るく、コナラ、ミズナラが紅葉して葉が落ちると、木々の間が透けて見えます。街道も杉峠までは平坦で歩きやすく散策を楽しむことが出来ます。杉峠には杉の古木が、かつて二本あり、一本は枯れてしまいましたが、残る一本は古杉の風格を残す名木です。
 この杉峠から南にそびえる雨乞岳(一二三八メートル)は堂々と構えた山容で、頂上に清水を貯える御池があります。昔は日照りになると、甲津畑村の若者が夜、御池へ雨乞い祈願に登山したこともありました。

根の平峠の位置図

【お詫びと訂正】
広報6月号(No・574)菰野の街道今昔の本文中に「千草峠」とあるのは誤りで、正しくは「根の平峠」です。お詫びして訂正させていただきます。



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