広報こものトップ >> 菰野の街道今昔
菰野の街道今昔コスモスイラスト

桑名道

桑名道とほぼ同じ道をたどる県道田光梅土井停車場線を小島から梅戸方面に望む
桑名道とほぼ同じ道をたどる県道田光梅土井停車場線を小島から梅戸方面に望む

 田光の多比鹿神社のムクノキの下の辻が中世に八風街道といわれた田光桑名道の出発点です。桑名までの道筋をたどってみます。  
 国道306号線の信号を越えてすぐ「右とみた四日市 左くわな」の道標で新八風街道と分かれます。八風中学校の前を通り、田光川を渡って小島へ入ります。金蔵寺の御堂を仰いで集落の南部を東へ、耳常神社の大きな杜を右に見て進みます。朝明川と田光川の水害を避けて安全な丘陵へ登って来たこの小島集落は空垣内
(そらがいと)と呼ばれていました。小島に広がる水田の西にはその水源となる溜池の堤防を望むことができます。   
 小島の東に架かる鶴沢橋を渡ると、もう梅戸
(うめど)地に入ります。桑名道は梅戸を通ることから俗に梅戸道ともいわれています。道の南には県営北勢中央公園があり、緑の美しい芝生や遊具も設置されています。しばらく行くと土生(はぼ)神社があって、坂を下ると三岐鉄道の梅戸井駅です。梅戸は中世からの集落で、員弁地方の中心で商工の盛んな町であり、菰野からも日用雑貨や食品を買い求めに行きました。  
 梅戸の集落の東で国道365号にでて東員町に入り、員弁川に架かる大社
(おおやしろ)橋の南に出ます。員弁川の南側は南大社で、ここでは菰野から保々を通って来た「多度道」が交わります。大社橋の北は北大社で、ここにある猪名部(いなべ)神社では四月八日に上げ馬神事が行われ、大勢の人で賑わいます。この北大社から北へ進むと六把野新田で桑名街道(国道421号線)に出ます。   
 さて桑名道は、南大社から員弁川沿いに東へ進むと桑名市に入って志知、島田、坂井と下り、員弁川に架かる坂井橋に出ます。当時員弁川に架かる橋は東海道の町屋橋とこの坂井橋だけで、あとは渡舟があった様です。そのため桑名藩が坂井橋を桑名道と定め、橋の修繕費を桑名領下の田光、小島をはじめ村々に割り当てていました。   
 坂井橋を渡ると在良、蓮花寺、西別所を通り馬道に着きます。ここが昔の桑名の城下町の入り口で、道筋には員弁や菰野あたりから桑名へ買い物に来る人達相手の商店が軒を並べていました。この辺りでは、「どんなものでも無いものは無い」「四日市より良いものが値打ち」といわれ、殊に娘の嫁入り道具はタンス、長持ちから着物まで一切が整ったので、荷車を引いて出かけたものでした。また春と秋のお彼岸には桑名別院へ詣でる人々が沢山続いて、それは大賑わいでした。   
 江戸時代、この道を使って桑名領下の村々の庄屋や肝煎
(きもいり)役の村役人の人々は、正装の裃(かみしも)を持参してお城前の京町にあった代官所へ陳情に出向きました。また田光村あたりは辻に立つ高札場に掲げるお触れの掟書がかわると、庄屋が桑名道を通って代官所へ出向いて新しい高札を頂戴して、再び桑名道を通って田光まで運びました。   
 桑名道に沿って流れる員弁川は水量が多く、高瀬舟で荷物の運搬を行っていました。現在のいなべ市藤原町川合、下野尻に川湊があり、十艘の高瀬舟がここから桑名安永の町屋橋下まで、年貢米や材木、山の炭や薪、柴、農産物などを積んで運んだそうです。員弁川の両岸の堤には松の古木が植えられて、高瀬舟とあいまって錦絵の様な風景でした。



All Rights Reserved.Copyright(c) Komono Town
各ページの記事、画像等の無断転載を禁じます。