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郷土史・風俗 第89回

山論や水論を記録した絵図
野呂金貞(のろきんてい)の業績

 金貞は、早くから菰野藩学校「修文館」に学び、督学の南川定軒(みなみがわていけん)につき、経書を学びました。また、文学を津藩儒の土井牙聱(どいごうが)のもとに入門して学び、医学は稲生村の渥美玄碩(あつみげんせき)と京都の外科医である高階丹後守(たかしなたんごのかみ)に入門して医術を修めました。また、和歌を潤田の村井長央に手ほどきを受けました。

 明治3年(1870年)、藩学校顕道館典籍で講師を命じられ、明治8年(1875年)には教部省下の教導職として神宮権少講義※となり、神道の教化宣布にあたりました。

江戸幕末・明治時代の野呂家の長屋門
▲江戸幕末・明治時代の野呂家の長屋門

※権少講義 教導職に設けられた階級の名称

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