第1回
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 昭和53年1月から連載してきた『広報こもの』の名物コーナー「歴史こばなし」は、筆者の佐々木 一さんが高齢のため、不定期掲載とさせていただきます。このコーナーでは佐々木さんが、過去に郷土資料館で紹介してきた菰野町の郷土史や風俗を連載します。

 

  稲 作
 

 稲作は、春の田打ちに始まり、秋の稲刈りで終る作業で、農家にとっていちばん大事な仕事です。4月頃に苗代づくりをして籾(もみ)種を播きます。本田に水を入れ畦を塗り、代かきをして田ごしらえができると、大きくなった苗を取って順番に田植をします。水をかけ、何度も草を取って育てます。
 九月、十月頃に稲を刈り、刈り取った稲はハサにかけて干し、それを千歯コキで穂を落とします。籾は家の庭いっぱいに莚(むしろ)を広げて干し、乾いた籾を土臼(どうす)でひいて籾殻をむきます。それを唐箕(とうみ)であおって、籾殻と米にわけ、万石(まんごく)トオシにかけて米の粒をそろえ、斗マスではかり、俵に入れます。春の田打ちの鍬(くわ)使いは、嫁殺しといわれる程の重労働でした、荒起しや代かき作業は人と牛の心が通わないとうまく仕事ができません。その牛は家族同様に扱い同じ家の中で飼われていました。また道具の唐鋤(からすき)も手ごろな木を探して、それを自分で作ったものでした。田植は多くの人手が必要で、隣近所が互いに手伝いあいをして仕事を進めました。真夏の炎天下での田の草取りは、田の水が湯のように沸いて汗は目の中に入り、うだるような暑さの中で稲の株元をかいて、草を取りました。稲刈りが済み、秋の夜長になり毎晩夜業(よなべ)をして籾をすり、大方の仕事も片づき、庭に俵の山を積み上げたときのよろこびはまた格別のものでした。

千草の大石燈籠