第23回
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運搬@
 
 
 

はじめに
 かって大昔の縄文人も、狩猟用の石槍や矢尻をつくるため、その材料の黒曜石(こくようせき)を信濃(長野県)の和田峠からはるばる運んできたといわれています。竪穴式住居の丸太柱も伐り出し集落地まで運び建てたものでしょう。こうして原始の時代から今日まで、生活に用いる食糧、衣料、住居の材料をいかにたやすく採取し、それを能率的に運ぶことができるか、そのことに智慧と工夫が凝らされてきました。肩に担(にな)う、引くというように、自分の力で持ち運ぶことが行われてきました。また、牛や馬の背に物を載せて運ぶという畜力運搬も行われ、車の使用は山坂の多い日本の地形では大変おくれていました。

山村の運搬具
 菰野あたりでは、燃料の薪や柴を山から運ぶのに背負うか、肩で担ぎました。それはセタという梯子(はしご)に藁(わら)で編んだ帯をつけ、柴は三把か四把、結びつけ背負いました。そして棒の前、後ろに柴などを固くしばりつけ担ぐ方法もありました。なお田んぼから稲や藁を家へ運ぶ場合もたいてい棒で担い、遠い道のりのときは途中で荷杖を支えに肩を休めました。山や野で、草を刈り運ぶのは、牛や馬を使い、その背に大鞍をつけ、それに草の束をのせて運んできました。野原や田んぼの畔に牛道の名の残るのは牛や馬の通行した道です。山で木を伐り運び出すには木馬(きんま)という橇(そり)の上に材木を積み、道には丸太を横に一定間かくで並べておき、その上を滑らすようにして梶を取りながら下まで運び出しました。それは大変危ない仕事でした。

年中行事とワラ柴を背負う老婆