第30回
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嘉例踊りの歴史
 

 郷土芸能の一つである嘉例踊りは、別に雨乞踊り太鼓踊りともいい、この類似の踊りの分布は鈴鹿山系の東西、ことに扇状地の旱ばつ常習地帯に多く分布しています。岐阜県の谷汲町の雨乞踊り、滋賀県山東町の太鼓踊り、三重県伊賀町山畑の雨乞踊りなどが有名です。いずれの地域でも雨乞の願掛け踊りが起源であるようです。
 菰野町の場合、過去に、西菰野、中菰野、東菰野、福村、千草、音羽、潤田、吉沢、杉谷あたりの村では盛んに踊られていました。嘉例踊りの由緒を伝えるものに西菰野村が昭和6年(1769)6月菰野藩へ出した願書に「産神に雨乞御礼踊りを奉納致したく、三ヶ村東町に勢揃い、庄部お旅所より川原町筋を西へのぼり北木戸よりお城へ入り、表御門前で村順どおり踊り、次第に南木戸より、それぞれの氏神へ操り込申し候」とあります。

 また音羽村は万延元年(1860)の夏の日照りの際に最初は、村の鎮守の八幡宮へ雨籠りして願をかけ、それでも降雨のない場合は、いよいよ嶽のぼりと称して、国見岳の下の山奥にある嶽の不動堂に雨乞いをしました。このときは、鳥居道谷の山坂を太鼓をかついで登り、堂前で太鼓を打ち鳴らし一心に雨の降ることを祈りました。
 むかしの稲作農家にとって灌がい用水の有る無しは、豊凶の鍵を握る命についで大切なものでありました。十日も日照りがつづくと水不足となって空を仰ぎ、ひたすら天の恵み、降雨を祈ったものでした。
 雨乞いは村の鎮守に村中集って祈る雨籠りに始まり、その願いがかない慈雨があると、よろこび、その嬉しさが踊り舞わずにいられない気持ちになり、太鼓を打ち、ほら貝を吹き、歌を唄う踊りの形になり雨乞神事に定着したものであります。こうした雨乞神事が寂れると、秋祭りの豊年踊り、盆の行事、そしてめでたい時に踊るという事で名も嘉例踊りと呼ばれるようになりました。

西菰野の嘉例踊り
西菰野の嘉例踊り