第35回
 広報こものトップ >> 郷土史・風俗

バックナンバー

 

石工(いしく)のルーツ
 

 和泉国箱作(いずみのくにはこづくり)村の石工、長右衛門は享保15年(1730)、桑名の鍋屋町を経て千草村へ出稼ぎに来て定住し、同じく和泉国黒田村の伝七は明和のころ(1764)、杉谷村の服部甚右衛門を頼り、同地へ定住しています。いずれも現在の大阪府阪南市大字箱作・黒田で、ここは有名な「和泉青石(いずみあおいし)」の産地でした。
 この和泉青石の石切場が宝暦のころ(1751)停止となり、石の切り出し、それを細工していた石工は仕事を失い新しい職場を求めて各地へ離散していきました。当時伊勢ではお蔭参りが流行し、参宮街道沿いに常夜燈籠の建立が盛んになりました。長右衛門、伝七の子孫も優れた技術を継承して立派な石造品を遺しています。

永井の大湯水 水路橋
永井の大湯水 水路橋

主な石造品 
菰野町に遺る主な石造品は、国見岳直下の三嶽寺廃寺跡の康正2年(1456)の石不動尊と手洗鉢、そして杉谷南山の中世墓地の五輪塔は鎌倉から室町時代のものです。尾高の桜地蔵、田光の九品寺六地蔵も古く、田口の唐戸石の大五輪塔もこの地の歴史を物語っています。江戸時代になると年号の刻まれているものが多くなり、小島の耳常神社の手洗石、尾高観音の燈籠、鵜川原神社の春日燈籠、湯の山の蒼瀧橋の常夜燈籠、音羽の村はずれにある寄せ燈籠、見性寺にある歴代藩主の大きな墓碑、広幡神社拝殿前の石段、翠厳寺鐘楼基壇の美しい亀甲積み、吉沢の桜堤にあった湯の山道案内の道標、下村の桑名道と四日市道の辻の道標、井手神社本殿前の太鼓橋、それに永井の大湯水の水路橋は水の通る橋としては珍しいものです。大きなものでは福王山の参道に建つ大鳥居、そして千草にある明治25年建立の神明型燈籠があり、この常夜燈は伊勢詣の信仰を表すもので千草の石工の腕の見せどころ、誇りのひとつとなっています。