郷土史・風俗第40回
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菰野の米
 

伊勢の三穂 
 三重県は伊勢海を懐に抱き、そこから穏やかな南風が吹きよせる温暖な土地柄、そして五穀の神、豊受大神宮のお膝もとでもあり、米作りは早くから行われていたようです。それが江戸後期のころになると伊勢参宮が流行して全国から伊勢へと目指して人々が連なってくるようになりました。当時の参宮者は、その街道沿いに豊かに実る伊勢の稲に魅せられて、そっと一穂を抜いて持ち帰り、その籾を播いて試作するという風習がありました。
 幕末から明治初年にかけて、日本の農業全体が新しく近代化に向かって進まんとするときで、このころ伊勢国、三重県で「伊勢錦」「関取」「竹成」の三種の稲が撰種、発見されました。この三つは、「伊勢の三穂」とよばれて、その優れた特性は農家の注目を浴び、近畿東海地方から全国へと普及して、日本の稲作、特に品種改良に大きく貢献しました。

関取と惣吉
 嘉永元年(1848)の秋、中菰野村の佐々木惣吉は自家水田の千本の中から優れた一穂を発見しました。それを翌年の春、苗代に播いて移植管理し、相当の収量を得て籾すり、精白をした結果、糖が少なく胚部が小さく搗き減りが少ないことなど惣吉の念願、理想をかなえた米を作りました。しかし、人にすすめるには品種の固定をはかることが必要で、数年試作検討が続けられました。この品種の特性は茎がしなやかで容易に倒伏しないところから「関取」と命名されました。惣吉の家では、兄弟親戚で協力して採種圃を設け、県農会を経て南は鹿児島から北は関東栃木、茨城県方面へ種子を送りました。特に江戸の鮨米として四日市港から積み出され、都の東京で人気を博しました。したがって関取米は、今のおいしい米のはしりといえます。

籾を乾かす様子
籾を乾かす様子

佐々木惣吉
佐々木惣吉