郷土史・風俗第46回
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畳と畳職人
 

敷物のはじまり
 縄文後期、弥生時代の住居は地面に穴を掘り、湿気を防ぐため土間に敷石をして、その上に草や木を敷き生活をしていました。稲の栽培をするようになると稲ワラを使ったようです。稲ワラは柔らかで、保温力も富み格好の敷物でした。ワラを打って縄をなう、その縄を縦にして菰を編み、筵(むしろ)に織り、それを敷物にする、こうしたワラを素材にした菰や筵が敷物の原形と思われます。住居が竪穴から高床式になり、土間から板床になるにつれて、住居の中で敷物への認識が高まり、それが丈夫でしかも美しいものをと望まれて、工夫がこらされ、やがて畳へと進んだものと思われます。鎌倉時代の「職人歌合絵巻」には畳を作る職人も描かれています。この頃はまだ一部の貴族や上流階級の住居に用いられていたにすぎなかったようです。

城下町と御畳師
 畳が一般庶民の住居に用いられたのは、江戸時代からで、それも農家などでは座敷だけに敷かれ、納戸、出居、北座などはゴザ、ムシロが大方の敷物でした。昔は家の中の畳の有無、その枚数によって家の富裕度が評価されるほどでした。この菰野は慶長5年(1600)土方雄氏(かつうじ)が入封して城下町づくりを計り、東町、本町、庄部の町筋に商人、職人を招致して商店街をつくりました。菰野藩主三世雄豊(かつとよ)の代にはほぼ城下町の規模が整いました。ちょうどこの頃元禄11年(1698)の菰野藩の分限帳に、「畳屋長左衛門一人扶持」とあって続いて安永6年(1777)「畳屋長治米四斗扶持」として記されています。これは畳職人は、藩の御用畳師として一定の扶持米が給与されていたことを示すものです。文久2年(1862)「城下町大絵図」にも畳屋の名が見られます。


畳屋の店先
畳屋の店先