第270回

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えのみのき  文 郷土史家 佐々木 一
えのみのき
えのみのき写真  近鉄菰野駅の南東に、一きわこんもりと枝葉の茂る古木が見えます。この木は、 ニレ科の落葉樹の「えのき」で、秋には紅い実をつけて小鳥の餌になります。それ で土地の人らは「えのみの木」とよんでいます。
 この木は金渓川の堤防上に生え、江戸時代の東菰野村と宿野村との村境にあって、 境の標木です。この「えのき」は、東海道の一里塚に植えられて道ゆく人の目印にな りました。
 この「えのき」の西側は、菰野地の「辰巳野」とよぶ田んぼが開け、東側は、宿野 地の「西の久保」であります。宿野村では、この木の下を流れる金渓川から、用水を 取る「西久保井堰」が設けられています。
 昔、金渓川の水量の豊富な頃はここに川巾一杯に、松の導木を伏せて水をせき止め、 北側の樋管から取入れていました。宿野村では、この用水を深い溝を掘り、村へと導 いていました。
 そして宿野は、よそにない村の中心に城屋敷があって、その周りを取り囲むように 民家が立ち並んでいました。集落の西と北側を、この「西の久保用水」が、ぐるりと 廻り、城構えの村の濠の役目を果たしていました。
 片や、東菰野村では、この「えのき」が、お城の東南に当るところから地名を、 「辰巳野」とよんでいました。また、この辰巳の方角を恵方として大切に扱ってい ました。
 昔から村の境に樹木を植えて、境の目印にする習慣がありました。その例に、水 沢村境の「お茶場の松」、音羽と千草の「境い松」、田口と宇賀の境の「郡界松」 などいずれも松の巨木が標木として、大切に守られていました。この「えのき」の 標木は珍しく、現在なおも健在で立派に、その役目を果たしています。
 ひと昔前は、お盆前に稲の病虫害防除のために「いもち送り」「虫送り」という 行事が、村々で盛んに行われていました。東菰野の場合は、まず川原町の如来寺の 前に集まり、藁人形を先頭に、松明を手に持ち、行列を組んで、鉦を打ち、太鼓を たたきながら「いもちの神さん、出てけ、出てけ、出てかな焼くぞ〜」と、大きな 声で、はやし立て、田んぼのくろを歩きました。村では「虫送り」の道順が決まっ ていて、東菰野村は川原町から、はじまり、お城の西側から樋の口へ出て、南瀬古 から金渓川の堤を東へ下り、西覚寺前から、この「えのき」の下まで行き、この木 の下で一服しました。
 ここで松明を替え、行列を整え久田楽の田を横切り、並木通りへ出て、清水の溝 川沿いに北へ進み庄部の辻へ出ました。この辻で、あらためて太鼓と鉦をはげしく 打ちたたき、お旅所の坂を勢いよくかけのぼり、庄部橋の上から藁人形と松明を川 原へ投げ捨てて、振りむかず逃げ帰りました。
 虫送りの行事は、毎年決まって行われました。この木が第一の目印となっていま した。宿野では、春の「湯立普請」の際も、この「えのき」の下で勢揃いして作業 に取りかかり水番の寄合いもここでしました。
 東菰野村、宿野村いずれにしても、この木は大切な境の目印であり、木の下の草 原で輪になっていろいろと相談し、また憩いの場でもありました。