第277回

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宿野の長命寺  文 郷土史家 佐々木 一
「宿野の薬師寺」
宿野の薬師寺  大字宿野の源長寺本堂の南側に薬師堂とよぶ、小さなお堂があります。近ごろ、そのお堂が新しく建て替えられて立派になりました。 
 薬師堂の本尊は、木仏でなく石仏です。それは花崗岩系の平たい石を材料に刻み、高さ40cm巾21cm}ほどの大きさです。頭部は欠損して、右手の小わきに錫杖を持ち、蓮華の上に立っているお姿です。
 この石仏は、いわゆる「一石一尊石仏」式の形であります。中世末に「五輪塔」が廃れて、それに変わって作られた、その頃の庶民信仰を表したものであります。
 五輪塔より、はっきりと菩薩か如来の仏のお姿を表し、親しみ易く供養塔として多くつくられました。
 町内の地蔵堂をのぞくと大方は、この種の石仏が祀られています。
 さて、この石仏は昔、宿野にあった古い寺、長命寺の「お薬師さん」といわれています。これ以前は、この村の松本文治郎家の北西の薮の中に安置されていたが、人家の近くでは勿体ないといわれ、いまのところに移されたようです。
 その昔の長命寺のことですが、宿野集落の東側に広がる40ヘクタールの田圃の中心に「長命寺」と名づく字名が残っています。さる昭和42年に耕地整理事業が行なわれた際、この土地の真ん中どころの一部に、黄色くなった焼土のところがでて、このあたりにあった長命寺の焼跡だろうか、といわれたものでした。
 この長命寺の南の中道をはさみ、神明田とよぶ、字名が残り、神明神社があったところです。中世は、このあたりに、お宮と並んで長命寺があり、薬師如来を本尊として祀る天台宗の寺でした。それが戦国時代の戦乱に焼き討ちに遭い滅亡、東の森村の賀保寺と同じころに運命を共にしたものでありましょう。
 この長く続いた戦国時代に宿野の村人は、身を守る為に、今の集落にまとまって村を作り、中心に城屋敷を構え、村の周囲は壕と土居で固め、典型的な中世の防衛村落を作り上げていました。
 宿野は、古くから伊勢神宮の神領地でした。それは、倭姫命が、天照大神の神霊を奉じて、大和から伊賀、近江と巡行し、美濃から伊勢へと入り、桑名、小杉から、この宿野へ来られて、ここで一夜の仮頓宮を置かれたことから宿野と呼ばれたという説もあります。
 武平峠を越えた向こうの近江の土山町に「頓宮」という史跡がありますが、そこと宿野は同じいわれを残しています。
 また宿野は、西城、東城と二つの城跡が南の前山に残っています。長命寺の南隣にあった神明宮も天王社も江戸期に、西の城山跡へと移しています。長命寺も戦に焼き滅ぼされて、その焼跡から、この石仏を拾い出して、村人が密かに祀っていて、戦乱の時代が収まると、長命寺の一字を取って源長寺という、真宗の寺を新しく興したものと思われます。
 東の森村の賀保寺も焼跡から銅製の鰐口が一つ出て、それが森村の歴史を伝えている様に、この石仏も宿野村と長命寺の歴史をよく物語っているようであります。