第286回

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かやぶきの里  文 郷土史家 佐々木 一

かやぶき屋根の村=京都府北桑田郡美山町北村
 京都の嵯峨から周山街道を北へ取り、もみじの高雄から笠峠を越え、北山杉を産する京北町の山並みを縫うように行き、深見峠を越えるとようやく、由良川の上流の美山町に出ます。由良川に沿い更に上ると屏風を立てた様な山裾に小さな村が現れます。その村が「重要伝統建造物群保存地区」に文化庁の指定を受けた「かやぶきの里」です。ここは飛騨白川郷の様な壮大な合掌造りではありませんが、かつて菰野辺(あた)りでも見られた近畿型の民家です。北村50戸の集落のうち40戸が萱葺きで残されているのは全国的に見ても稀なことといえます。
 まず村を外から眺めた景観は、菰野の萱葺屋根と全く同じで、変わっているのは屋根の棟に千木(ちぎ)が置かれていることで、それが萱屋根のゆるやかな勾配にキリッとしたアクセントをつけています。軒先は萱の葺下げが大半ですが、錣庇(ししころひさし)という瓦屋根を備えている家もあります。
 入口は妻入りが原則ですが、私が訪れた勝山家は屋号を「弥右エ門」といい、天保年間に建てられたもので百七十年ほど経(た)っています。家は南面して立ち、入口は西側の妻入りで、入ったところが土間で、右側に厩(まや)がありました。今は改造されて居間となっていて厩の隣りは下出居(しもでい)で、その奥が座敷、左側に床、右側に仏壇があります。その左手側が納戸、そして台所と土間につながり、六つの間取になっています。台所は十畳あって広く囲炉裏が切られ、一家団らんの中心です。
 外側の建具は障子で南からおだやかな陽の光が射し入り、部屋の仕切りは座敷と出居はふすまですが、千本格子と板戸で、それが煤けて黒光りして、時代を表しています。指物は鴨居が、がっちりと組まれその上に竪指(たてさ)しが、東西に二本通り屋根の合掌を支えています。台所の天井は竹を編んだ簀(す)の子で、囲炉裏やかまどの煙を吸い上げて、つし二階から両妻の煙抜きへ、そして外へ排煙される仕組みです。神棚は台所の鴨居の上に祀られています。
 それから厠屋(かわや)と風呂場は別棟になって母屋とは離れて建ちます。
 村の生業は耕地が少なく農業は飯米作りが主で養蚕も行い、農閑期は、裏の山へ入って薪、柴の採取と炭焼き仕事が大半であったようです。また、若狭の小浜から京都へ上がってくる鯖をはじめ海産物、そして山国からは木炭、麻糸、へぎ板などを運搬する交易の仕事につき、由良川の流れも利用して筏(いかだ)を組み板材、樽材を綾部、福知山方面へ出すなど、これも大切な副業でした。
 村には曹洞宗の普明寺があって村中がこの寺の檀家です。なお知井八幡宮、鎌倉社、稲荷社を祀り心の寄り処としています。
 明治になって京都から園部、綾部、福知山へと山陰本線の鉄道が開通し、山陰道も改修されると、山国の静かな生活も文明開化の影響を受け、昭和十二年電灯がつき、戦後はラジオ、テレビ、洗濯機と電化の波に翻弄されて、この「かやぶき集落」にも危機が訪れました。それから暫くは、悶々の時を過ごしましたが、平成の年になって千年の歴史をかたくなに守って来た先祖の心を思い、薄っぺらな現代時流に流されず「重厚な、穏やかな、ぬく味のある」萱葺き屋根を守ろうとの声が沸き上がりました。そこへ萱葺き屋根の残存率全国一の折紙がつき、それを誇りにして伝統建造物保存に取組んでいます。
 かやぶき屋根にうっすらと雪をのせた静かな村は、まるで神々がおわすお伽の国へ行ったような景色であります。