第288回

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田光川河畔の桜  文 郷土史家 佐々木 一

田光川河畔の桜
 田光川に架かる相生橋から眺める桜の花の見事なこと、それに多比鹿神社の参道の吊橋が朱に映えて両岸の桜を引き立てています。ここの桜は近年とみに樹勢いや増し、美しい枝を流れにさし延べています。花の名所の少なくない当町にとって自慢できる名所の一つであります。
 長い冬の間は、寒々と裸木のまま北風に身をまかせ、それが春になると次第に花芽をふくらませて、暖かい雨でも降ればそれに勢いを得てぱあっと一斉に咲く。ここに花のいのちの不思議さを見せてくれます。大自然は誠にお伽ばなしの「花咲爺」、見事に枯木に花を咲かせてくれます。現在の田光川は、護岸の堤防も堅固に築かれて、川の土石もきれいに均されて安定した川床を見せています。これが今から120年前の明治13年の8月、八風峠付近の山に大雨が降り、それが大洪水となって田光川の川上の切畑では、川の南にあった農家が流されて、娘さんも大水に呑まれて亡くなりました。

 つづいて明治29年にも、それ以上の大洪水となって3人が家ごと流されるという、悲しいことが起こりました。この明治の大洪水により上流から運ばれて来た土砂、砂礫が堆積して、相生橋から吊橋、その上あたりまで広い河原になりました。
 大正の初め頃では、多比鹿神社へお詣りするのに川の流れを北川へ寄せて、平生は板橋を架け、お祭リの折は木製の太鼓橋を担いで来て架け、参拝者を渡した様でした。この頃、相生橋のたもとあたりには、医院、かご屋、酒屋、宿屋もあって賑わいを見せていましたが、大水を警戒してより安全な所へ移って行きました。この美しい桜の花陰にも昔を尋ねるといろいろ辛い悲しいこともありました。
 さて田光の北、田口の里には歌の聖、西行法師の庵跡があり梅の花の歌が遺されています。この伊勢国にも西行の遺跡は7、8つあり西行の歌集「山家集」には、140首余りも花の歌を数えられますがその中に

 おのづから来る人あらばもろともにながめまほしき山桜かな

 ねがわくは花の下にて春死なんそのきさらぎのもち月の頃

と詠嘆しています。またわが田光の詩人藤井喜市は、

 花の雲高峯の雪へ続きけりまいまいが遊ぶ落下の水たまり

桜の花が一面に咲いて雲の様であり、それは田光川をさかのぼり八風の峯へと続いている。里は花いっぱいでも峠のあたりにはまだ雪が残っているといっています。なお、吊橋のたもとに田光の歌人森たねの歌碑があってそれには、

 里人が馬洗ふにはをしきまで流るる水の清くもあるかな

と歌っています。この桜の花の下を流れる川の水の清らかなことを詠んだもので、花が散ると第一番に苗代づくりにかかり、馬の力を借りなければなりません。泥田を鋤き掻いて来た愛馬の汗と泥を洗い流してやる姿を捉えたものであり、山里の田光ならではの風景です。
 この歌は大正15年1月18日宮中での「新年歌会初め」の入選歌であります。