第295回

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     御大典の大名行列   文 郷土史家 佐々木 一

東町通りを練る大名行列
 昭和三年(1928)の十一月十日は第百二十四代の昭和天皇の即位式が行われました。
 この日の朝、皇居内の賢所と皇霊殿において奉告祭が行われ、また、京都御所の紫宸殿では天皇、皇后 両陛下のご隣席のもと、即位の大礼の式典がめでたく挙げられました。
 御大典の行われた京都では内外の顕官が参集して奉祝、田中義一首相の音頭で万歳三唱、これに合して 日本国中、お祝いの万歳、万歳の声で沸き返りました。
 菰野においても奉祝行事が盛り沢山に企画されました。なかでも東町界隈では、かつて菰野は土方氏壱 万石のご城下であり大名行列を再現して奉祝行事にすることに決まりました。
 その頃菰野には、いまだ大名行列の組織はなく、四日市祭りで有名な比丘尼(びくに)町の大名行列に依頼 することになりました。
 ここに揚げました一枚の古写真は、七十四年前のもので、東町の増田屋(笠井氏)の提供になるもので す。その時、大名行列が町はずれの松並木から出発して、東町の中心へ繰りこんで来たところで、パチ リと写されたものです。
 この写真に写っているように東町の商店街は、見物の人波で溢れ、身動きも出来ないほどの人出です。 東町通りの商店は軒並みに日の丸の旗を揚げて奉祝気分を出しています。写真中央のアサヒビールの看 板は八百清商店で、その東側は谷筋へ入る道で、道をはさみ大阪朝日新聞と名古屋新聞の看板は村沢新 聞店であります。
 その比丘尼町の大名行列は、先頭に露払い、長柄の毛槍、薙刀、挟み箱、長柄の傘、供侍、徒士など総 勢四十余名の陣容です。時折り辻の広い場所で毛槍持ちの奴さんが「ほおい」の掛声で相手方へ長い毛 槍を投げて、それをまた巧みに受ける妙技を見せて、見物衆を沸せます。行列は藩内の武家屋敷を練り 、八幡宮へと繰り込みました。
 折から八幡宮のあたりは、楓(かえで)の紅葉の真(ま)っ盛り、御大典奉祝に彩りを加えました。
 四日市は東海道筋の宿場町、参勤交代の大名が盛んに通行し宿泊したこともあって、明治になり昔の宿 場を偲び、その中心であった比丘尼町が大名行列を復活して、町のほこりにしたようであります。
 比丘尼町の名は、寛永二十年(1643)の古絵図にも町名が見え、諏訪神社の近辺、東海道の西側の 町筋を比丘尼町とよんでいたようです。それは室町期、四日市場が栄えた頃、比丘尼姿の芸人が住んでい たところから、その名がつけられたといわれています。
 この町名は戦後はなくなり、現在の元町、中部町あたりに変っています。町の名は消えましたが、大名 行列の習俗は伝承されて、毎年夏の四日市まつりには、鯨舟や大入道と共に、諏訪神社へ奉納され、四 日市まつりの名物となっています。
 その大名行列が、お城のあった菰野へ伝わり、戦後に城下町の東町で復活されました。それも昭和の御 大典に招いた四日市の大名行列が立派であったからです。
 いまでは菰野の城下町にすっかり馴染み、秋の文化祭行事の呼び物になっています。昔の菰野は、本物 の大名行列がお城の門を出て威儀を正し、城下町はずれに続く松並木の下を通り、江戸へと参勤交代に 出かけて行ったものでした。