第300回

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  サイタサイタ桜が咲いた   文 郷土史家 佐々木 一

谷 多吉先生の肖像

昭和8年1月31日発行の
小学国語読本巻一(文部省)

サイタ サイタ
サクラガ サイタ
オヒサマ アカイ
アサヒガ アカイ
ハトハト オミヤノ
ヤネカラ オリテコイ
カアカア カラスガ
ナイテイク
コイコイ シロコイ
ココマデ オイデ
ソロソロ オイデ

 この片仮名の歌のよう な文章は、昭和8年(1933)1月31日に 発行された、文部省検定の「小学国語読本巻一」の冠頭語であります。
 小学1年生用の国語の教科書の一番はじめのくだりで、昔は片仮名を読誦(どくしょう)して言葉を覚え、それから平仮名に進みました。
 それまでの旧教科書は「ハトマメ、ミノカサ、カラカサ」などの言葉で綴られ、文字も挿絵も白黒の印刷でした。
 昭和8年の改訂本は、表紙も中身の紙質も良くな り、美しいカラーの色刷りとなって 明るく読み易いものに大改訂されました。
 昭和の御代になりますと、 明治、大正の時代のものはす べてが古い、それを払拭して 新しく改めようとするのが時 代の潮流となっていました。 お固い文部省も小学1年生用 の国語教科書の改訂に乗りだ し、その文章を広く公募の形 をとりました。
 これに応募して見事入選したのが、当時名古屋市昭和区 の御器所(ごきそ)小学校の教師、谷多吉でした。
 実は、この多吉は竹永村永井(菰野町)の出身でした。
 多吉の父は多蔵といい、文久3年(1863)の生れで、 母はとくといい、家は農業を 営み、初治郎、多吉、きせの 三人の兄弟でした。多吉は多蔵の次男に、明治24年(1891)に生まれました。
 七歳のとき村の竹永小学校 に入学して、同37年に卒業、菰野学校の高等科へ進学 し、同39年に優秀な成績で卒業しました。暫くは竹永 小学校の代用教員を勤め、その間に苦学して「学校教員資格検定試験」に合格しました。
 同43年(1910)4月、愛知県の小学校訓導に採用されて、名古屋市内の小学校に奉職しました。昭和6年 (1931)に昭和区御器所小 学校の教頭を命ぜられました。多吉40歳のときです。
 丁度そのとき、小学国語の改訂作業と重なりこ の「サイタ、サイタ」を作り、応募しました。 この名調子の桜の花の詠い出しは、 多吉の入学した母校竹永小学校の桜でした。
 この竹永小学校は、表も裏も桜に囲まれて、このサクラのハナの真盛りに、母に手を 引かれて校門を潜った、その幼いころの思い出が、サイタ サイタになったのだと思われます。
 そして村のお寺の屋根、鎮守の森、広い田んぼや畑、蝶 や雀、鳩もお友達、そのなつかしい故郷の原風景が、この教科書の文章の生れる本(もと)になりました。