第304回

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  菰小教師の禊ぎ    文 郷土史家 佐々木 一

お堀でのみそぎ
お堀でのみそぎ
 「みそぎ」とは、清冽な水で、身も心も奇麗に洗い清めることをいいます。この写真は昭和15年(1940)8月、夏休みに菰野小学校内の北隅にあった水浴場で、原 文一校長ら26名の先生方が「みそぎ」の行をしているところです。
 昭和12年に日中戦争がはじまり、翌13年には「国家総動員法」が発令になり、次の14年には「青少年学徒に賜りたる勅語」が発布になりました。
 そして、この15年になると、日独伊で三国同盟を結び、皇紀2600年の記念行事が行われるなど、国全体が激しい戦時色に塗りつぶされてゆくという時代です。
 当時の菰小は、昭和8年から校舎の大改築事業が進められ、本館はハイカラな二階建てに、北校舎と中校舎を新築して、運動場も北側へ移して拡張しました。
 そして小学校の北隣りに、町立実践女学校を創立し、なお青年学校も独立の校舎を建築して、名実ともに三重県下一といわれるほどの学校に充実されました。
 なお「みそぎ」となった水浴場は、菰野城のお堀の一部で、城濠は菰小の西と北側に鍵の手に残されていて、西北の角から三滝川の伏流水がこんこんと湧き出て、その水は堀を満たし、一つの流れとなって東菰野の水田を潤す潅漑用水となっていました。
 素掘りだった堀は、青年学校の新築に伴い、校舎の北側とそれに続く堀の南側に堅固な石積みが施工されて、立派な水浴場になりました。その水深は1b余りだったので、高学年の生徒だけ、先生の監督の下に水遊びを楽しみました。
 菰小では、昭和13年の8月、夏休みに一泊二日の「勤労作業道場」を開講して座禅、勤労作業、合宿の訓練を行いました。座禅は瑞竜寺紹篤和尚の教えを受け、勤労は学校の西農園で耕作と、鶏、兎、豚の世話の実習をしました。
 この「みそぎ」に参加の先生で名前のわかる方は、廣田嘉治、清水幸三郎、森 醇、磯貝三郎、辻 久美、川田 実、岡田英夫先生らで、当時の先生はそれぞれ個性豊かな誇り高い方々でありました。
 この「禊錬成会」の主宰者の原 文一校長は、現在の亀山市田村町の出身で、安楽川のほとり日本武尊の能褒野御陵のあるところです。先生は同12年の4月に菰小へ着任。前任の労作教育で有名な、名張出身の稲森縫之助校長の跡をつがれ、いつも鼻の下に美髯をたくわえられて、古武士の様な威厳のある先生で、校内巡視の際、特製の上靴を履き、廊下を歩まれる音を耳にして、生徒は緊張したものでした。
 先生は、そのころ国策により中国の東北満州へ送り出した「満蒙開拓青少年義勇軍」の隊員慰問のために、満州へ渡られています。当時は下関から連絡船で釜山へ上陸して、朝鮮半島を汽車に乗り縦断して鴨緑江を渡り、満州へ入国しました。  先生は各地に駐屯して開拓と警備に当る隊員を慰め、励まして無事に長途の旅を終えて帰国されました。その疲労のためか俄に病気に罹り、翌18年1月28日に急逝されました。菰小に在職は5年10ヶ月、お年は49歳、誠に残念のきわみでありました。今年は先生没後60年目に当ります。み霊は四日市市南部丘陵公園内の泊山霊園に鎮まります。