第307回

バックナンバー

 宿野の 農業「構造改善」事業    文 郷土史家 佐々木 一

英国ファーガソン社製の
トラクター(45馬力)
英国ファーガソン社製のトラクター(45馬力)
  昭和三十年代になると戦後の日本経済も成長を見せ、食料の配給統制も次第に緩和され、 肥料などの農業生産資材も出回り、農家の増産への意気込みも現れてきました。 同三十六年には農業基本法が制定され、これに基づいて農林省は、農業近代化施策と 農業生産基盤の整備を進めるため「農業構造改善事業」を計画、推進しはじめました。
 昭和二十三年の農協創立以来組合長をつとめる服部光良氏は、この事業を導入することにより、 抱いていた農村近代化構想の実現を図ろうと、肥沃な耕地四十ヘクタール余りを擁し、 新しい感覚の篤農的農家の多い管内の宿野に白羽の矢を立てました。 そして農業改良普及員と共に地元へ出向いて農家の人々との会合を重ね、 農業の近代化を熱心に説き続けました。いろいろな紆余曲折はありましたが、 ようやく昭和四十二年三月十八日に水田の耕地整理をするための農家全員の同意の調印を 得ることができました。
 宿野の関係受益農家では集会を開き慎重に協議をして、耕地整理事業の土地改良区の 設立発起人代表には松本仲蔵氏を、近代化事業の肉牛肥育組合の代表者には松本文史氏、 種子集荷調整と大型農機導入事業と合わせて行う農事組合の代表者には小沢輝男氏を選任して、 この大事業が進められることになりました。
 そして桜の花の散った四月三十日、県庁の農政課、耕地課の専門係官が来町し、 現地を視察して浄観池からの宿野用水の取り入れ、東西の土地の高低差、 土質などの現況が詳しく調査され、実施設計が行われることになりました。
 お盆前の七月二十九日には農林省農政局の係官が来町、国の補助対象事業の耕地整理をはじめ、 肉牛の多頭飼育、種子集荷調整施設の整備や大型農機具導入などが、宿野の農家の人々の要望も 聞き入れながら、事業計画全般の確認を行い、本事業の実施が決定されました。
 そして従前の田んぼでは最後となる、稲の収穫が終るのを待ちかまえたように、 十一月九日起工式が行われ一斉にブルドーザーが投入され、工事が着工されました。 見る見るうちに田んぼの畔は取り払われ、高みは削られて低みへ押され、 新しい田んぼの形に均されていきました。
 古代の大化改新のころ短冊形に整理する条里制が行われたことがありましたが、 当地としては先祖伝来の田は、一枚一枚大きさも形も異なり、名もつけられ独自の顔を 持っていましたので、この三年前に川北地区で先駆的に行われた例があるとは言え、 重機の威力によって田んぼの形や景色までもが一変していく姿に「神武天皇以来のおおごと」 と言い、大変な驚きでした。何百年と鍬鎌や牛耕によって水田作業をし、 ようやく耕耘機時代を迎えたばかりなのに、考えられないような馬力の強いトラクター、 しかもイギリスのファーガソン社製が導入されるということで、時代の変化の兆しに戸惑いつつも 新しい息吹を感じたものでありました。
 耕地整理は大型土木機械の威力で着々進行、年の明けた翌一月三十日にほぼ完成して、 一枚が24アール、農道が縦横に整備され、整然とした立派な田んぼに生まれ変わりました。 耕地全部で41ヘクタールの水田は、耕地への遠近、耕土の良否、用水の利便などを斟酌して、 従前の反別に対してその増減の計算を経て、五十戸の受益者に換地されました。 従前の耕作田と換地を受けた田とを比較して悲喜交々、一時的には混乱もありましたが、 互いの愛郷心のもとに解決されていきました。
 この大事業を企画し、その達成に尽くされた農協組合長服部光良氏は、工事なかばの 同四十二年十二月十五日、突如心筋梗塞で亡くなられました。行年六十歳でした。