第328回

バックナンバー

  お金明神      文 郷土史家 佐々木 一
新十郎と妻のとくの画像
お金明神岩塔(平成17年7月16日撮影)
 朝明渓谷の中心の、伊勢谷から西に連なる稜線を仰ぐと南から水晶岳、真ん中に金山、北に羽鳥峯(はとみね)を望まれます。この標題の「お金明神」は、方角から言えば金山の裏側に当り、滋賀県神崎郡永源寺町佐目の地内であります。
 お金明神を訪ねるには、伊勢谷から羽鳥峯林道の途中、中峠道を取り伏木谷の渓流に沿い、なわだるみ堰堤(えんてい)など治山堰堤四つほどを見て、曙滝の下へ出て登ること暫くで熊笹の中峠に到着。ここから緩やかな下りとなって愛知川の上流の大瀞(おおとろ)橋へでます。橋の下は愛知川の廊下といわれるほど両岸は、そそり立つ絶壁で大瀞の名のある深い淵になっており、杣(そま)人や鉱山師(やまし)が通うために鉄の橋が架けられています。不断に明るく広い朝明谷に馴染む私たちには、そそり立つ回廊の愛知川には驚くばかりの絶景です。
 大瀞橋を渡り右折して、愛知川を右に見て狭い杣道(そまみち)を歩むと、左手に炭焼きの窯跡が三つ四つ残るのを見られます。昔、千草の人々が入って炭を焼いた跡です。それからは岩の多い谷で、四つ目の岩場から左にお金谷へ入る小谷が口を見せ、この入口が判り難く立木に付けてある道しるべを探して入ります。岩を登りくぐって行くと、檜や杉の古木のあるところに出ます。ここが目ざす「お金明神」の鎮座地で、巨大な岩塔の下、佐目相谷の集落名で「ここはお金明神の清浄なる神域みだりに汚すべからず」の制札が建てられています。ここまで中峠から二時間の道程です。
 岩塔の北側の岩の上から南側に東へ向く明神を仰ぐと、巨大な平たい岩盤の上に、 下から顎、口、鼻、眼、額と、まさしく明神のお顔に違いありません
 この重厚にして堂々たる岩塔を仰ぎ、近江の佐目や相谷の村人をはじめこの山で木を伐り、薪を作り炭を焼く杣人、そしてこの辺りの山は鉄、銅を産する鉱山多く、危険をともなう鉱山師などが「お金明神」と崇め、山の守り神として信仰して来たのでありましょう。岩塔の前に祈りから咲く「タニウツギ」の花が手向けられていました。
 この明神の岩塔は、数えると六枚の層からなり、風化浸食の進み具合は、国見岳の動(ゆるぎ)石、天狗岩などと類似していて、花崗岩が母岩の様であります。母岩が生成のときに節目が出来、その割目に沿い雨水が浸透して、それが氷結、融解の風化作用を繰り返して、眼に当たるところは窪み、鼻は前へ出て高く、口は少し開き、顎は締って力強く、下の台石との間に明瞭に透き間を明けています。岩盤の下は垂直の絶壁です。
 いかなる名工の石工に鑿(のみ)や石槌を持たしても、このような細工は不可能のように思えてなりません。まこと、大自然の営みは人智を超越して偉大にして巧みなるもの、おのずと自然崇拝の心が生まれることになるのでありましょう。
 このお金の塔から山元の佐目へ出るには、明神登拝の禊場(みそぎ)である「コリカキバ」から大峠へ出て、「水舟池」を左に見て、佐目子谷を下って永源寺ダムの佐目に至ります。地図上では簡単ですが、滋賀の山は重畳と山が重なり奥深く、 実際の踏破は困難と危険が伴います。
 銅とマンガンの鉱山は「向山鉱山」「御池鉱山」があり、杉峠下の下重谷には人も住み、 小学校もありました。鉱山へは菰野側の千草から米、味噌、醤油の食料と生活資材が送られ、 小学校は千草へ運動会に来るほど近い隣でありました。