第332回

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  五右衛門風呂のはなし      文 郷土史家 佐々木 一
おけ風呂。
おけ風呂。これはだ円形をした比較的新しいものです。
 十二月に入り、日も短日(みじかひ)となり夕方は小寒くなって、暖い煮物のお夕飯を頂き、そして熱い目のお風呂へ入って休まして貰うのが「娑婆極楽(しゃばごくらく)」といい、一日の暮しの中の一番の楽しみともいうべきことでした。
  お風呂の五右衛門風呂というのは、桶の底に鉄製の釜がついていて、それを、かまどの上に乗せて、下から柴や薪で焚いて桶の湯を沸かす形のものをいい、これを五右衛門風呂とよんでいました。
  それは大閣秀吉のころに盗賊の頭領石川五右衛門が捕えられて、京は四条川原で、釜ゆでの厳罰を受けたことが、その名のはじまりのようです。
  五右衛門風呂の風呂釜は、鋳造技術が進んで来ると、鋳型の中に金(かね)の湯を流し込み造りました。いまの台所にある、フライパン鍋を大きくしたようなものでした。
  風呂釜の上に乗せる桶は、桶屋の仕事で、寸法は内径が二尺余、深さが三尺ぐらい、桶の中で大人があぐらをかいて坐れるほどのものでした。
  そして風呂釜の上に直接足を入れると熱く、五右衛門の二の舞を踏み、釜ゆでになるので、風呂桶の中に「下す板(げすいた)」を入れて、熱い釜の熱を防ぎました。入浴するときは下す板に足を乗せ、そっと沈めて静かに入ります。このことを、田舎の風呂は下す板が浮いているので怖い、と町の人は言いました。
  お風呂のかまどは、土間の隅に穴を掘り、その中に丸く石を積み耐火の壁土を練りこみ、前に焚口を設け、かまどの中心に風呂桶を水平に据えます。かまどを高くすると風呂の水を入れるのに難儀をするので人の腰の高さに加減しました。
  風呂の湯を抜くのは、桶の底に穴を開け「節弁(せちべん)」に竹の筒栓を挿し、それにボロ布を巻いて漏れを防ぎました。お風呂へ入った最後の人が節弁を抜くことになっていました。落し湯は大きな甕(かめ)を埋めて、そこへ流し入れて溜め、これを庭先の野菜の肥しに利用しました。
  お風呂のかまどは大火(おおび)を焚くので煙突は無く、そのためかまどの口は炎と煙が出て、それが家の暖房になり、煙は家の中を燻(くす)べて屋根裏に貯められた柴や、藁屋根の虫害を防ぐ効果もありました。
  風呂焚用の粗朶(そだ)は、よく燃え火の立つもの、田ぐろ、池ぐろによく生える、笹や荒草を刈干しにして、また、蚕の食べた桑の残茎や菜種の殻が何よりの焚物になりました。
  また家により、お風呂の排湯用の節弁が壁の外、屋外に出ている家もあって、これに目をつけた村の悪太郎が、その家の娘の入浴するのを外で隠れて伺い、入った頃合いを見計い、密かに節弁を抜き放って、娘が風呂の中で悲命をあげるのをよろこぶ風がありました。このとき焚口で追い焚きをしていた爺が、びっくり、すぐ様、火箸を振りあげて裏口へ回っても、悪太郎の姿は見えませんでした。
  また、草相撲を取る位の偉文夫の男が、貰い風呂に来て、風呂桶に体を沈め「いい湯ぢやなぁ」と大欠伸(あくび)をして、思わず両肘を張ったら、桶の箍(たが)がプツンと切れて、中のお湯がどっと焚口へ流れ出た、驚いたのは焚口の爺さん、「何をするのじゃ」恐っていきなり柴の太い脛(すね)で、中の男の頭を殴りつけた。男もびっくり仰天、いい湯の貰い湯はオジャンになり頭にコブをもらう始末、こんな笑うに笑えない珍事が起ったのも、五右衛門風呂ならではのことでした。このことは作り話しでなく、事実あったことであります。