第333回

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  田光のさむらい松      文 郷土史家 佐々木 一
田光のさむらい松
昭和37年9月28日撮影
 田光の中心、八風街道と巡見街道の交わる辻を西へ、八風道を1.5キロほど登った左側に、この写真の「さむらい松」はそばだっていました。この田光の名物松も戦後の松喰虫の猛威に負けて、いち早く枯れてしまい、いまではその雄々しい姿を見ることはできません。
 田光の学者宇佐美景堂の記録にある様に、それは三百年はゆうに数えられる名松でした。八風街道を通う人の賑わう頃は、旅人の目印になり、この松に吹く風で汗を拭い、その霊気に触れて疲れを癒し、元気を取り戻して峠をさして登り行くのでした。  このさむらい松の名の起りは、少し離れて松の姿を仰ぎ見ると、年を経た松の枝ぶりは、頭に兜をつけ鎧に身をかため、馬にまたがり颯爽(さっそう)と戦場へ馳せる若武者の姿にそっくりといわれていました。
 佐五郎爺の案内で、この松にはじめてお目にかかった時、側にいる爺のはなしを聞きながら仰ぐ松の姿は、本当に話のとおりでした。
 この松のあった所は、別に九品寺跡といい、ここに古い浄土宗の九品寺の堂が建っていた所です。このお寺はその前は切畑にあって朝明寺といい、ここへ移って九品(くほん)寺と名を改めました。また、田光が衰微したとき八風街道の起点桑名へ移っており、今の桑名の浄土宗の十念寺の前身がこの九品寺です。
 昔は田光の里もこの付近、石崎にあって、それが田光川の大洪水に流れて、今の集落地へ移ったようで、九品寺跡の北方の田光川の大門川原を渡った処に、清安寺という寺があって、その寺跡には古井戸や五輪塔の転石が見られます。この清安寺にあった「六地蔵」は、今の九品寺本堂の南側に移されています。
 仏教東漸といい、西から伝来して、また時の流れでさらに東へ移りゆきます。今の西榊にあった「馬場薬師」は、元比叡山にあって八風峠を越えて来て西榊で天台の寺として栄え、それがまた退転して今は桑名の浄土宗大円寺に秘仏として安置され、毎年秋の十一月に開帳があって、その由来が説かれています。
 また田光には鋳物師が住み、お寺の梵鐘や半鐘を盛んに鋳造して、その製品は北は員弁郡一円に、南は亀山あたりの寺院の宝器として注文を受けていました。
 このさむらい松のことをはじめとして、田光に残る遺跡を歩いて案内してくれた佐五郎爺は、仏華の池の坊立華の名人で、いつも桑名御坊の本統寺へ通い、仏事法要のあるときは泊り込みで立派な花立てを奉仕していました。そのほか田光に伝わる江州音頭、松阪音頭、田植唄などよく覚えていて、そうしたことで大の仲良し連れの正夫爺の二人をたのみ、昭和四十九年十月一日に東京のNHK資料センターの原、萩原氏それに民謡研究家の竹内勉氏らに願って、録音の場を音羽の浄正寺の書院を借用して、歌ってもらいました。
 ある年の正月に、佐五郎爺の隠居部屋で大火鉢に切畑の炭を真っ赤になるほどおこして、その火に手を焙りながら、それからそれへと話は広がって、いくら聞いても聴ききれないほどの話の山、
 山家なれども田光は都
 寺が三カ寺鋳物師ゃ二軒
 裏の川原にゃ鮎が住む
 と手拍子で唄ってくれました。せめてお正月はこうしてゆっくりと火鉢を囲んで昔を偲びたいものです。