第340回

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  多度参り      文 郷土史家 佐々木 一
多度参り
昭和63年8月19日撮影
 毎年五月四日、五日の多度神社のお祭りには、菰野辺りからも隣近所を誘い合わせて、「お多度参り」に歩いて出かけたものです。それは多度道といい、鵜川原の下村の禅林寺の西側から川北、そして保々の中野の藤棚の東を通り、保々小学校の北で朝明川の城下橋を渡り、南大社へ出て員弁川に架かる大社橋を渡ります。坂を上ると猪名部神社の杜(もり)、そのすぐ西に木村家の白壁の土塀が続き、右に折れて北大社から鳥取へ、ここで濃州街道を横切り鳥取の地蔵堂前へ出て、その北側の笹尾山へ鳥取溜を右に見て、狭い踏分道をじりじり上る。この山は花崗岩が風化して、真白い砂山に赤松の自然生えの、それは美しい日本庭園の様で、ゆるやかな峠を越えると力尾の地内、ここまで来ると林の中に色とりどりの幕を引き、臨時の茶屋が店を張っています。多度参りの人並が続くので、声を上げて呼び込みをしています。力尾の山を出ると猪飼の在所、ここで参詣者が一段と増え、北猪飼へ出ると美鹿、古野から下って来た道と出合います。
  ここには瓦を焼く窯が連なり、瓦屋が二、三軒ありました。多度川を渡り鳥居をくぐると、いよいよ多度大社です。あたり黒山の人だかりをかきわけて社前の大楠の下へ、石段を上がった左手に、垂直に近い壁の崖が見えます。これは「上馬(あげうま)神事」の馬の駆け上る所。多度祭りはこの上馬神事を見物せんと、人が集ります。
  またこの前に「神児(ちご)」の練り込み神事があります。
  肱(ひじ)江の村で七歳の男子が選ばれて、この神児が馬に乗せられ、古例により猪飼三郷の氏子の警固お供で行列を組み、本宮へ繰り込みます。この神事が済んで上馬神事がはじまります。
  まずは本宮へお参りするのが大切、拝殿前の人波をかき分けて白馬舎の前へ、白木の木像の神馬が社殿に祀られています。
  昔からなにか大変な国難が起きると、多度の大神がこの神馬に跨(また)がり虚空(こくう)を飛んで、危難の場へ駆けつけ、国の危急を救われたと信じられていました。この白馬舎の南側、本宮の大前の左右に二基の神明灯籠が献納されています。その灯籠の基壇に         
  文化四年(1807)
  千草村石工  徳兵衛
           長 蔵
           長 七
  文化九年(1812)
  杉谷村石工  伝次郎
           伝 七
  とあり、この二基の燈籠の献納者は、桑名の商人の名が多数読めますが、刻んだ石工は、わが菰野町の石工五人であります。
  この常夜燈籠の上の「多度両宮」の額のある門を潜り、神橋を渡ると右側が別宮の一目連神社で、祭神は天目一筒神(あまのまひとつのかみ)で、左側の本宮の祭神は天津彦根命(あまつひこねのみこと)であります。本宮は北伊勢を開発された国土開発の祖神であり、一目連社は、雨の神、鍛冶の神といい、産業の神と崇められています。
  昔は、日照りが続き水不足となって稲田に干割(ひわ)れが出来ると、村では雨乞の使いを、多度神社へ走らせて、一目連神の幣を受けて、一心に降雨の祈願を行ったものでした。北伊勢の大社として篤い信仰を受けている多度神社の本宮に、しかも一番近い所に菰野の石工の名を見ることは、誇りに思われてなりません。