第343回

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   菰野小学校と裁縫学校のこと     文 郷土史家 佐々木 一
菰野裁縫学校
大正4年に創立された菰野裁縫学校は
昭和9年に宿野の公会所に移築されました
(昭和42年3月20日撮影)
 菰野小学校は明治六年(1873)に菰野藩学校の「顕道館」の校舎、図書を引継ぎ菰野学校の名で旧菰野町役場、現在の菰野コミュニティセンターの所に創立、開校されました。同二十年(1887)学制小学校令により高等小学校(四年制)が発足、「三重郡朝明郡第三高等小学校」と称して、菰野小学校の敷地内に併設されました。同二九年には朝明郡が廃されて三重郡に統合されて「菰野村外十一ヶ村学校組合立高等小学校」と長い名の学校名に改称されました。
 この組合立高等小学校に郡内の成績優秀な生徒が競って入学して進学校の体をなし、 生徒数が急激に増加しました。このため学校西側の旧藩士桑原敬徳(けいとく)邸を買収して、 組合立高等小学校の校舎増築の工事を行いました。
 こうした事情により、小学校を菰野城の城跡へ移転する計画を立て、同三一年に校舎の建築工事が完成しました。同四一年には生徒数の増加により各村の小学校に高等科が併設されることになり、三重郡内菰野村外、千種、鵜川原、県、水沢、桜、神前、川島、小山田、朝上、竹永、保々の十二ヶ村はそれぞれの村へ移り組合立を解消、明治二〇年に菰野に創立以来二一年間の歴史を閉じました。
 この当時の菰野村は福村直衛村長で、菰野尋常高等小学校は近藤謙蔵校長でありました。そして村立の裁縫学校は、この近藤校長の提唱により小学校の北側に大正四年(1915)に創立して、小学校高等科を卒業した女子に裁縫、華道、茶道、国語、修身を教え、普通三年、専修科二年で朝上、千種、鵜川原、竹永から自転車で通学しました。
 ここに明治初年から大正末までの小学校教育の移り変わりを振りかえりみましたが、実は菰野尋常高等小学校と附属の菰野裁縫学校の「授業料納額告知書」と表書きした、月謝納入袋が一六八通発見されました。それを整理しますと表の様であります。
 この一六八通の授業料納付の封筒は、9.5×27センチのタテ長の美濃和紙で作られた丈夫な袋で、毎年四月に村長名で発行、八月の夏休みを除く十一ケ月分を納付、村の収入役の領収印が押されています。
 さて、この納入袋は、遠く静岡市清水区蒲原町に在住の、小林喜久男氏が古物商から入手、わざわざ菰野町へご来訪の上、この度お届け頂きましたもので、 整理分類の上、菰野小学校の資料室に納入保存をしていただきます。 なお、蒲原町は富士山麓の富士川右岸に位置して風光明媚の町であります。

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