第352回

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  中菰野の祖霊供養と盆踊り    文 郷土史家 佐々木 一

中菰野の祖霊供養
中菰野青年団による祖霊供養=
平成2年8月1日中菰野公会所にて

 中菰野の公会所の前身は、正面に須弥壇があって中心に木像の地蔵菩薩像を安置した、建坪二十四坪ほどの地蔵堂でありました。この堂のはじまりは、菰野藩の家老の桑原伝左衛門が貞享年中(1684〜1687)に堂を創建、堂守(どうも)りは殊応、祖宗、慧教、法讃、恵光などの尼僧が住持していました。そして涅槃会、花まつり、地蔵盆の法会が行われて供養されて来ました。  
 その地蔵堂が、戦後の昭和二十三年に再建されることになり、地蔵堂の境内に新築の、公会所三一坪、消防ポンプ庫八坪、地蔵堂二坪が建築されました。また同時に東垣内と地蔵に集会所が設けられました。  
 公会所の利用は区民の集会をはじめ、消防団、青年団、婦人会、老人会の活動の本拠として大いに利用されて来ました。  
 中菰野の昔からの伝統行事は、二月十五日の涅槃会にはじまり、春の彼岸頃に獅子舞い、四月八日の花まつり、六月二十八日の不動まつり、七月二十四日の地蔵盆、八月一日の菰野の盆の盆踊り、そして十二月七日の山の神まつりが、村を挙げて行う年中行事として伝承されて来ました。  
  昔は、村に宮守連、若者連という、青壮年層の集りがあって、村のお祭りとその催しもののことは、一切を取り仕切って来ましたが、時代の変化や文化の進歩とともに移り変りがありました。  
 懐古譚でお許し頂いて、中菰野の昭和の終わり頃までのお盆の行事、「祖霊供養」を紹介いたします。  
 それは八月一日の午後一時から、中菰野青年団が行う敬虔な祈りの行事です。公会所の中にごく簡素な祭壇を設け、その上に今年出た新竹(女子竹)を巾30センチと長さ60センチぐらいに切って、細縄で編んだ簀のこ状のものをつくり、これを「盆棚」にします。この中心に「中菰野祖霊」の札を立て、札の前に、八竹の新竹を節の上10センチほどで切り、この筒に冷たい水を入れます。そして柿の青い葉二枚に炊いたご飯を盛って供えます。その左右に畑で成った胡爪、茄子、西爪を供えます。これが盆棚の供物です。今日のお盆は中菰野中の亡くなった祖先の霊が、皆この盆棚のところへ戻り帰って来るという思いで、この盆棚の前で、西菰野の正眼寺の日比智貞庵主さんを迎えて、短い棚経を読誦してもらいます。仏式の儀式ですので、主催者の青年団長をはじめ団員の方、また参詣者の老人会長、婦人会長の礼拝があって、この先祖供養は終ります。  
 それからが青年団員の方々は大忙し。公会所前の庭で盆踊り大会を行いますので、それぞれ手分けして、盆踊りの準備に大わらわ。音頭の櫓を組み、太鼓を据え、明り照明の用意、女子団員は冷たい飲物の用意と、暑い午後に夕方まで汗みどろになって、準備作業に努めます。  
  青年団、婦人会の若い人々が輪になって、手を振り足を揚げて踊るのは元気の証拠、それに手をつないで、歌に合わせて踊るのは仲のよいこと、この踊る様を見て一番よろこぶのは先ほど供養した先祖のみ霊。「こうして村中皆が元気で仲よく、なかでも若者の元気なこと、これで安心して浄土へ戻ることが出来る」と、盆踊りは自分たちの楽しみに踊るほか、お盆にだけ帰って来る、先祖をよろこばすためと信じていました。