第353回

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  菰野湯の山紀行     文 郷土史家 佐々木 一

湯の山温泉を紹介する当時の絵はがき
湯の山温泉を紹介する当時の絵はがき

 いまから数えて百一年前の明治三十九年の九月に、尾張名古屋市中村の歌人近藤信一氏が、伊勢菰野に来遊して、当時の湯の山温泉の風光を「菰野湯の山紀行」と題して、その見聞録を記しています。そのあらましを紹介させていただきます。では、まず
九月六日、曇りのち雨
 午前八時家を出発。馬車にて大須に至り、徒歩にて愛知駅(名古屋)へ向かう。九時三十分発の汽車に乗る。窓の外を見れば稲の穂は青々として、風に波打つ景色、目に心地よく木曽、長良、揖斐の三川に浮ぶ白帆は風をはらみて遠近の山の影、水に映るは、絵のよう美しき。
 十時三十分四日市駅に到着下車して歩いて西町より菰野行の馬車に乗る。三滝川に沿う堤の道を走る。大井手、小生、川島、智積、桜の村落を経て菰野東町に着く。この間三里なり。時に午後二時なり。とある飲食店にて腹こしらえする。
 菰野より湯の山へ山駕籠(かご)の便ありと聞けど乗らず、歩いて田舎道を行く。しばらくして赤松林を過ぎ、 三滝川を徒(かち)渡りする。やがて萩、桔梗、野菊の咲き乱れたる広野に出る。菰野富士の南からの橋を渡る。 川中に大石立ち伏して渓流の水声高く風景一変する。
 三の瀬という茶店あり。その前に巨石ありて、石の上に小亭を設け、その下の池に鯉遊ぶ。このあたりより山道、いよいよ険阻となる。道にて遇うは、束たる柴を車に積み、引く人、あるいは柴を背負う人、または焼きる炭を担ぐ人などにて、山里らしき風情あり。
 しばらく登りて板橋を渡り、つづいて三の橋を渡り、石燈籠の設けてある湯坂を登りつめれば、遂に湯の山温泉場に到着する。時に午後四時半、菰野より二里の道のりなり。ここは勢州三重郡菰野村の一部にして御在所岳、鎌ヶ岳、国見岳の中腹に位置する。人家は三岳寺をはじめ旅舎二、在家二、合わせて五戸なり。旅館寿亭といい別館七を有し、一つを伊勢屋といい別館二を有す。別に三岳寺の所有になる浴室一棟あり。私と同行の福島氏、伊勢屋に投宿するに決める。
 伊勢屋別館へ通り浴衣に着替えて浴室へ行く。浴槽は男女の区別あり、温泉は山より湧き出たままでは微温を帯びたる鉱泉なれば、更にそれを沸かしたるものにてアルカリ性にて、諸病に奇効ありという。一浴して自室に戻れば一日の疲労消えて爽快なり。やがて晩餐、かかる山中にても海魚の膳に上るは嬉し。
九月七日 雨
 六時半起床雨天なり失望する。本館へゆきて筧(かけい)を走る霊泉にて嗽(うがい)をする。のち別館に戻り朝餉の膳に就く。 雨止み午前温泉の湧く湯本へ散策す。石の洞より霊泉の湧くを見る。 九月八日 晴
 蒼滝を見んと湯坂を下り、谷川に架設の橋を渡る。松丸太五本を藤蔓にて編みし危ふき橋なり。 急の山道、よじ登る。尾根の頂きに蒼滝不動尊を祀る。堂裏の谷底を覗けば直下数十丈の大飛瀑あり。水は岩に砕けて飛沫四散し瀑声は和琴を弾するが如く、実に壮観なり。これ蒼滝にして湯の山第一位の名瀑という。午後は三岳寺を参詣し、その東側の観音山に登り、西国三十三番札所の石仏を巡拝せり。
(九日、十日、十一日の稿割愛する)
三本杉の名月
三株の杉は枯れ果てて、
かたみに残る切株の
あたりにすだく虫の声
哀れと聞ける折しもあれ

東の天に昇りたる
見よ晴朗の月影に
銀波輝く伊勢の海
四方の景色ただならず