第356回

バックナンバー

  材木搬出の力牛     文 郷土史家 佐々木 一
 町内の西菰野、千草、杉谷、田口あたりの里山から鈴鹿の山地の麓の小谷には、建築材となる松、杉、檜(ひのき)の古木が多くあります。これらの木は「遺(のこ)し木」といい母屋(住宅)お寺の本堂などの建築材にと大切に伐らずに残されていました。
 その大切な「遺し木」も、普請の計画が立てられると、その材料として用いるために伐採されました。まずは普請に必要の材木名を札に書き出しておきます。そして設計の墨引きをした大工の棟梁と木挽(こびき)が山へ入って木を選びます。日向で使う柱材は山の日向で育った木を、裏や北側に使う材は谷の陰で育ったものを探して、また屋根裏に使う力のかかる材は雪や風を受けて自然に曲がったものを棟梁が選び、その木に縄をまわして札をつけ印をして行きます。この材木選びの山入りの作業をサイ取りといっておりました。こうして木々が樹液を降してから切り時のよい頃に木挽職が山へ入り、山一番の頭木(かしらぎ)に神酒を供えて山神の許しを得、斧入をして無事を祈りました。
 古木、良材の残る山は、材木の搬出の難しい急な崖、深い谷、道のない所ばかりでした。大切な建築材に傷をつけない様に急坂や急崖は木馬、シュラを組み、平な木場まで落とします。この木場へ集められた丸太材は、こんどは力持ちの牛の力により広い往還まで引き出されます。
 太い丸太材には株の切口に鉗(かん)を打ちこみ綱をつけます。この綱の先は、牛の尻打に結び胴から首木へとつないで、牛が首を下げて前脚と後脚でふん張ると丸太は滑る様にして曵き出されます。牛が材木を曵き出すこの狭い踏分道を杣道(そまみち)といい、馬子は牛の前、あるいは後になって、牛と馬子が力を合して曵き出します。杣道から広い往還に出ると道の傍らに林場が設けれてあり、ここに集木されます。
 この曵き牛は、角の太い牡牛で力が強いのですが、気は優しく、飼い主の馬子の言うとおり温順です。しかしここ一番で重い木を曵くときは、全身汗びっしょりになって精いっぱいの力を出します。
 写真の牛は、美濃生まれの美濃牛で、賢くて従順な性格を備えていて、馬子の飼主の家に飼われて五年目です。材木出しの専門の牛ですが、山の仕事のない時には荷車を曵き、米や麦、時には重い石も運び、春と秋には田圃へ行き、鋤(すき)で重い土を耕して田植前の代掻にも働きます。
日比さんと曳き牛
日比さんと曳き牛
昭和四十四年十一月十六日撮影


  この牛は、夏にはススキ、ハギ、クズなどの野草や山草を食物として好み、草のない時は、干し草や藁(わら)を食べました。また寒い時季は藁を細かく細断して釜で炊いて麦や大豆かす、麸をまぶしたご馳走を食べさせることもありました。
 飼主、馬子の主は岐阜県養老郡養老町沢田の人で日比守さんといい、この牛と二人連れで、二里の道を来て養老郡上石津町の多良、下山あたりの山の谷間から巡見街道まで、丸太材を曵出す、難しい仕事の専門職でした。「お呼びの声がかかれば牛と行き、たいがい難しい所でも、この牛の力を借りて往還まで出してきます」と日比さんは語って見えました。