第363回

バックナンバー

  村の行事食    文 郷土史家 佐々木 一
菰野地区で山の下草刈り作業の後に行われた女性の集い
昭和五十五年九月に菰野地区で山の下草刈り作業の後に行われた女性の集い。
これからはそりを囲んで食事が始まります。
 「なんでも家にあるもので手間ひまかけてうまいものを作り、食べさせたいと勘考してきたものさ」これは、おばあさんの独りごとです。糠(ぬか)味噌をかいて菜園に成る茄子や胡瓜をちぎって一夜漬けを作り、紫蘇(しそ)を揉み、梅を漬け、ラッキョの泥を落とし揃えて、瓶に酢と塩で漬けてくれました。こんなことは、味噌部屋の薄暗い隅で作業するため大変な骨折りでした。
  春蚕の繭
(まゆ)を出荷して、冬作の麦や菜種の収穫も終え、そのあと急ぎ代にして田植も無事に終りました。その頃、区長さんは村中の田んぼが青田になったことを見定めて「野上り休み」の触れを回しました。
  このことを知ったおばあさんは「いばら餅」つくりの仕度にかかり、おじいさんは小籠を手に裏山へガンタチイバラの葉を採りに行きました。この「いばら餅」は野上り休みの一番のご馳走でした。
  そして村では春の彼岸前に溝川普請、道つくり、溜や池の泥さらえなどの共同作業がありました。このほか、消防団、青年団の奉仕作業もあって、村では十人、二十人の人が集まり行事が終ると、その労働の慰労と親睦のために会食をしました。
  この行事のあとの会食を関東では「五目飯
(ごもくめし)」、関西では「加薬飯(かやくめし)」といわれ、菰野では「かしわ飯(めし)」といいました。このご飯を炊く釜は、平たく鍔のない「はそり」を用いました。「はそり」の名の語源は、武士のかぶる陣笠の端が反り返っているので「端反笠(はそりがさ)」といい、その笠に似ているところから「端反釜」とよばれました。この釜は持ち運びがしやすいので、いくさの戦陣用のものだったそうです。
  この釜も大中小があって仲間飯の場合は、中の三升炊きがよく使われました。お米の量は一人当り三合から四合として量り米を磨ぎました。そして具の種類は二十人前として
一、鶏
(にわとり)二羽
一、野菜、ごぼう、にんじん、しめじ
一、調味料 炊事の頭領の匙
(さじ)加減
一、かまど 野外では手頃な石三つ
  この「かしわ飯」は所の東西をいわず作られます。関東では多摩川のJR八高線の鉄橋下の広い川原で、石を置いた俄
(にわか)づくりのかまどにはそり釜をかけ、拾い集めた木の枝をくべている光景を見たことがあります。川原に莚(むしろ)を敷き、その真中に「はそり」を据えて丸く囲み、歓声をあげて食事をする様子に、仲間に加えてもらいたい気持ちになりました。
  このかしわ飯を作るのに最も重要な鶏は、その先祖は雉
(きじ)といわれ、原種は東南アジアに生息し、稲作文化と共に黒潮に乗って日本に来て、弥生時代ごろから飼われはじめたそうです。いまも神宮の神苑に飼われているのが見られます。 昔の農家は、どこの家でも鶏を飼い、昼間は庭で餌を探して啄ばみ、夜は牛の厩上のツシ二階で寝ました。
  鶏の中でも羽根の白いものは、よく卵を生み、羽根の茶裼色の地鳥は肉が美味しいので「かしわ」の名でよばれていました。鶏の卵には栄養があり、老人や子ども、病人の食物になりました。そして不意の来客のもてなしには、料理の種にする大切なものでした。