第366回

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  籾摺り仕事
文 郷土史家 佐々木 一
小島のある農家での籾摺り仕事
小島のある農家での籾摺り仕事M
昭和56年10月11日撮影

 村の祭りの太鼓の音を聞いてからが稲の鎌はじめです。九月の秋風が立つと越前から来た「鎌屋」が家々をめぐり鋸、鎌を置いて行き、これで稲刈りの準備が整いました。
 黄金色に色づいた中稲系統から鎌入れします。一足先に田へ行ったばあさんが田圃の西北の隅を刈って刈り口を開けてくれます。稲は左手に四株づつ刈って、穂を北にして三掴みづつ揃えて置いていきます。後から刈手は追ってくるので、株を握る手、鎌を持つ手に力を入れて調子よく前へ進みます。向こうの畦(あぜ)に着いたら腰を伸ばして戻ります。こうしてどんどん刈り進めます。
 一枚の田を刈り終えますとこんどは稲を束ねます。刈り終わった南の端に一列に並んで腰につけた稲藁を左手で二三本抜き出して両手を使いくるりと稲を返して締めて、一把の稲束を傘を開くようにして束の懐に風が入るようにします。そして自分の立っている右側に稲束を広げて行儀よく一列に兵隊さんが並んでいるように手際よく行います。少し風が吹いても倒れないように、しかも早くすることがコツです。
 水捌けのいい田は傘干しでいいのですが、湿田では稲架(はさ)がけにします。稲架がけは三本足の陣立てに横木を渡し、稲束を掛けていく方法で、材料と手間がかかりますが、よく乾き、お米の質も傷めません。
 こうして風と日光で稲も藁もよく乾いた晴天の日に、傘干稲は竿で穂を南にして倒します。その日の夕方には家族を総動員して稲を寄せて丸く積み輪の中で二把づつ両手に持ち、中心に藁の枕を置いて穂を中にして積み上げていきます。目の高さで留めて穂を雨に濡らさないようにし、その上に稲をかけます。これを穂蓑(ほみの)といいます。丸く積み上げたものを稲叢(いなむら)<にご>といいます。広い刈田の中にいくつかの稲叢の並ぶ光景は美しいものです。
 秋日和のよい日に稲を扱う仕事を行います。昔は竹の歯の千把、人力脱穀機、動力脱穀機、そして今はコンバインが刈り取りから脱穀まで一度に行っています。近頃は稲刈鎌も束ね藁、藁ふご、叺(かます)もいらなくなりました。
 田圃で脱穀してきた籾(もみ)は広い庭に藁筵(むしろ)を敷き、その上に籾を広げて天日乾燥して夕方になると唐箕を出して籾の良し悪しで選別しました。その後納屋の中に筵を二枚つなぎ合わせ、筵たてを作り、これに乾燥籾を仮貯蔵しました。
 稲の取り入れを終え、その刈田を牛で耕起して小麦、大麦、裸麦を播(ま)いて、野外の仕事が片付くといよいよ籾摺(もみす)り仕事です。風のない晴天の日を選び、籾摺機を組立てて五馬力位の石油発動機を運転しました。これは共同作業で機械は順番に家を巡回して作業を進めます。
 これ以前は家から水車小屋まで籾を荷車で運び、小屋に据付の土臼を水車の動力で回して籾の皮をむいて米にしてその米を篩(ふるい)でわけていました。米は俵に入れて家へ、籾ぬかはふごに入れて荷車か肩で家へ持ち帰りました。
 春の苗づくり、田植え、田の草取りと手塩にかけて育てた稲が今日は真っ白いお米になりました。お米を俵に詰め、その俵は家の内庭に積み上げます。米の字を分解すると八十八になるのは、米にするまでに多くの手間がかかることを表しています。