第370回
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  中菰野村の歳事記
文 郷土史家 佐々木 一
歳時記
この歳時記は、武田忠治の子孫宅の子孫宅に保存されていましたが、焼失したため現存していません。

 中菰野村の武田忠治は、二十五歳になった宝暦十一年(1761)に菰野藩から庄屋を命ぜられました。当時菰野藩は三重郡に十六か村で、近江国の草津付近の四か村を合せて二十か村、一万二千石の所領がありました。菰野陣屋の表門近くに「郷会所」と呼ぶ、藩の公会所があって、領内の庄屋はこの会所に集まり、大庄屋が座長となって年貢米の取り立てをはじめとして、領内民政全般の協議が行われていました。
 ちょうど安永四年(1775)金谷山にて水沢村と西菰野村と緑肥にする草刈場の出入りの争いが起き、その争いの遂一を自分の日記に記録し、村全体の行事も併せて書き綴っていますので、その一部をここに紹介します。
 一月一日 年頭に当たり例年の如く、西菰野村、東菰野庄屋宅を訪ね、年始の挨拶を行い、郷会所で大庄屋に新年の挨拶を言上する。
  一月六日 御人見のこと郷会所であり、御小人一人当村に当る(お城の中の小間使い)
 一月八日 鹿垣繕い。雲母山、蛇不老山の裾に猪鹿(しし)土手を築き、土手の上の「垣繕い」を寒中に行うことを、村方へ申し触れる。
  一月八日 川囲い。金渓川の欠所の川囲いに、蛇籠九十八個を大庄屋へ願い出す。なお、前山の水田のずりの実地御見分を願い出る。
 一月十日 前山の氏神春日神社の祭礼に参る。
 二月四日 山本椿神社獅子舞い西菰野前田の踊場にて舞いはじむ。智福寺に舞い済み当日自宅に一宿相立て、東菰野村へ移る。
 二月五日 宗門改帳。寺社奉行より仰せ出あり、帳面改めて記す。
 二月九日 御城内女奉公人三人差し上げ申す。
 二月十一日 源七不行届きのことあり御召とりになる。
 二月十七日 御鍬まつり行われる。
 二月十八日 春日神社の下刈り西菰野村の六内(ろくだい)、六太夫(ろくだゆう)の二人に割り当てる。
 三月二日 当村常子離縁に付、宗旨改帳直して大庄屋へ届け出る。
 三月二日 松葉井伏越(金渓川底)の筒木、砂留杭木下され度お願い大庄屋宛。源七お許しになり申し受ける。
 三月三日 金渓川の籠伏せ、今日村中総出で出役する。なお大井水の木も伐り引き出す。昨日今日両日、出役の人足に夕方酒を振舞う
 三月十三日 西菰野村茶屋の上の西方火除野において猪鹿狩り仰せ出につき、西村の肝煎り役来たり。勢子の応援の依頼があり、当年は当村、甚だ村方困窮のこと、残らず勢子に出役のこと相かなわず、領下村一村に十人宛出役にお断りする。今日の狩りは西村総出で行い、鹿三頭討ち取った由、夕方聞く。
 三月十八日より十九日の両日 西、中、東村の田子残らず出役して、大井水の伏せ越し蛇籠伏せに従事。ようやく出来る。
 三月二十日 三の瀬下の「石が小屋」の籠伏せ当村六人東菰野村十人出役する。湯の山より四人手伝いあり、出来上る。
 三月二十一日 お城のお役人衆、湯の山道と橋の破損の箇所と三滝川の大川囲いの個所の御見分あり、無事に済む。
 六月十六日 江野の神明神社の夏祭り厳修、神事無事に相済む。年番は西菰野村の仁右衛門殿なり。三滝川の天魚漁(あまごとり)お留川に仰出。
 七月二十四日 地蔵新田の愛宕神社の夏祭り相済む。
 七月二十五日 広幡の八幡宮の御神事古例の通り相済む。雨のため草相撲は中止。