第383回
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  故郷の山と川
文 郷土史家 佐々木 一
記念館前に建つ高野辰之の像

 兎追いしかの山
 小鮒釣りしかの川
 夢は今もめぐりて
 忘れがたき故郷


 これは文部省唱歌「故郷」で、誰でも自然に口ずさむことのできるなつかしい歌の一つです。菰野の人がこの歌を歌うと、鈴鹿の山々が浮かび、村を流れる川で遊んだことを思い出すことでしょう。
 この「故郷」は信州出身の高野辰之が詞を作りました。実は昨年の十一月二十五日、新潟県新井市の正念寺というお寺へお詣りするご縁があり、帰りにこの高野辰之の生誕地を訪れました。楢の落ち葉に埋まりそうな正念寺をあとに、信越街道を南へ下って長野県に入り、途中にある野尻湖の西岸を取って、善光寺街道を南へ走ります。野尻湖のある信濃町は俳人小林一茶の生誕地で、ここの役場の前から野尻湖を離れて飯山街道の林道を東へと走りますと、杉と檜の植林帯を抜け、荒瀬、涌井の山村の村々が狭い道筋に見え隠れします。この付近は日本有数の豪雪地帯ですので、農家の屋根も萱葺きの上にトタンが被せてあります。しばらく山道を下ると、斑尾山から流れ出る斑川の谷へ出ます。この明るい谷の民家の建つ道筋に「歌の高野辰之先生の生誕地」の標識板が目に入りました。高野辰之は、唱歌や童謡の作者を調べたときにその名前だけは覚えていました。しかし「故郷」の歌の作者は「こんな山里でお生まれか」とびっくりしました。
 車で暫く走ると間もなく豊田村(現在の中野市豊田)の中心へ出ました。なんとここは斑尾山から続く丘陵の東端で、左へ行けば飯山へ、右手を取れば善光寺の長野市へ行くことができます。その眺望は明るく、眼下に千曲川の大河が白く光って流れる様子が見えます。この千曲川は新潟県へ入ると信濃川と名が変わります。
 さて旧豊田村の永江という集落の中心にある永田尋常小学校の跡地には、真っ白の壁の蔵の建物二棟と木造二階建ての高野辰之記念館が建てられて、その館内に高野の著書資料が沢山展示されています。また記念館のすぐ裏には高野が生まれた生家がそのまま残り、現在も子孫の方が住み生活しています。周りの村の景色も昔とあまり変わりはないようです。
 高野辰之が作った歌詩の中の「彼の山」は、北に望まれる優しい姿の斑尾山、そして「彼の川」は静かに流れる細流の斑川。作詩家高野は幼少の頃から、彼の山、彼の川に親しみ、遊んでもらったことが都の東京へ行っても思い出されてあの歌になったものと思われます。そして、

 菜の花畠に 入日薄れ
 見わたす山の端 霞ふかし
 春風そよふく
 空を見れば
 夕月かかりて
 にほい淡し


 この「朧(おぼろ)月夜」の歌に出てくる菜の花畠も、記念館の下のなだらかな斜面に広がり千曲川へと続いている菜畑であることと思われます。
 高野辰之は明治九年(一八六七)長野県下水内郡永江村(現在の中野市大字永江)に父仲右衛門、母以志の長男に生れました。永江尋常小学校から長野師範学校を卒業し、青雲の志を抱き東京へ遊学して上田萬年博士に私淑(注)して国語、国文学を学びます。同三七年には萬年先生の推挙によって文部省の属官になり、同省の小学唱歌教科書の編纂委員に選任されました。そして同四三年には三四歳で東京音楽学校の教授となり、かねて研究の「日本歌謡史」の論考が東京帝国大学に認められて文学博士の学位が授与されました。こうした学業が認められて彼の作詩の「故郷」「朧日夜」、「春が来た」「紅葉」が小学校の唱歌の中に採用されて広く歌われるようになりました。

(注)私淑 敬慕する人に直接教えを受けることはできないが、密かに尊敬し、模範として学ぶこと。