第390回
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  秋祭りと草相撲
文 郷土史家 佐々木 一
伊勢浜頭取八代目の北岡佐久男さん
(昭和六十二年四月撮影)

 秋、十月となりました。広い田んぼに黄金色の稲穂が秋の風に波打つ光景は、まさに瑞穂の国の象徴です。秋の野作業も稲刈り、かさ干し、稲叢作り、と絵に描いた様な風景で、村の鎮守に大幟がはばたき、大太鼓の音が響いて来ると、秋まつりです。
 昭和三十年ごろの菰野の秋まつりは、広幡神社の神輿(みこし)の渡御(とぎょ)にはじまり、二日は草競馬、三日は草相撲が奉納されて、人々の胸をときめかして、秋まつりの日を待ったものでした。菰野の次は千種が九、十日、鵜川原が十一、十二日、竹永が十二、十三日、朝上村が十三、十四日と順番に秋の収穫感謝祭が催されました。お祭りが終わると小学校の運動会が始まり、その後田んぼの稲刈りが始まりました。
 遠い昔から村の鎮守の秋祭りには、宮守衆と呼ばれる若者衆が集まって土俵を築き、四つに組んで相撲を取り、それを奉納するのが慣わしになっておりました。何の娯楽も無い時代、村の力自慢の宮守衆の草相撲の見物が人の楽しみでありました。
 宮守衆は、お宮の祭事一切を司る青年の集まりでしたが、このほか火事、水害など、村の治安を守る役目を背負っておりました。そうしたことで、まず丈夫な男であることが大切で、相撲を取り、力石を担いで日頃から体力をつけることを仲間で競っておりました。
 明治十七年(一八八四)五月八日に、田光の乗徳寺の本堂が立派に再興されました。このときの落成勧進相撲に村々の宮守連の草相撲が行われ、その番付表には村々の力自慢が集まり、名が記されていました。草相撲に参加した力士の出身と、村名乗り名を紹介いたします。
西菰野 滝の川、
森 小柳、
中菰野 膝車、
池底 十文字、
東菰野 滝の瀬、
吉沢 短冊、
宿野 角石、
大強原 水島、
福村 壇の浦、
諏訪 諏訪森、
神田 立田川、
下村 玉葛、
田光 福王山、
千草 鈴鹿山、
小島 福王山、
福松 会松、
竹成 松川、
音羽 結勇、
永井 薄雪、
潤田 竹縄

 この草相撲の名乗りは、他村から奉納相撲に招かれて土俵に上がるとき、まわしの上に前垂れをつけ、それに力士の出身の「村名乗り」名を印しました。
 それぞれの村の鎮守の土俵の上で、二人の宮守力士が取り組んだ際、見物の人たちは、村名乗りの名を呼び上げ、声援をおくりました。
 菰野に相撲を愛好する風があるのは、寛政六年(一七九四)九月十二日に七世藩主雄年(かつなが)公が江戸大相撲の大関谷風、小野川一門の力士を招き、庄部のお旅所境内で大相撲を興行して、領下十カ村の領民に見物させたことが、一つの起こりになった様であります。そのころから、菰野で秋祭りの奉納相撲を行う際は、土俵を築き、四本柱を立て、北伊勢の頭取役の伊勢浜名跡に届け出ました。頭取役から、土俵を清める弓と勝負の軍配を借りて、草相撲や勧進大相撲を開催することが慣習になっていました。
 大羽根園の東側の字柳林には、明治四十四年(一九一一)建立の「伊勢濱松蔵碑」が残されています。この碑は菰野相撲頭取の記念碑であります。