第397回
 広報こものトップ >> 歴史こばなし


  八風峠のブナの原生古木
文 郷土史家 佐々木 一
八風峠の様子
八風峠の様子

 巡見街道を田光の辻で横切った、八風街道は、まっすぐ西の八風峠へと導いてくれます。まずは多比鹿(たびか)神社のムクノキの梢を仰ぎ、深い森を抜けると九品寺(くうほんじ)旧跡、ここに名物の九品寺松が四十年ほど前までありました。

 なおも登ると左手に、八風競馬場が見えてきます。この馬場で毎年花の咲く四月に長者の娘お菊姫の霊を慰める大祭が行われました。坦々(たんたん)と歩きやすい道を歩むと右手に田光川にかかる橋が見えます。渡ると切畑の集落です。ここから道を「花街道」と呼びます。春は桜と山つつじ、秋は野菊と萩が咲きみだれる山道でしたので、村の名主がつけた道の名です。しばらく行きキャンプ場を過ぎると表道と裏道の分岐点、行きの登りは表道をとります。登り道の右側にイヌツゲが傘をさしかけたような枝の下に苔むした碑石があります。碑の表は「伊左衛門の墓」と読めます。もう少し登った左手に「嘉助の墓」があります。

 この二基の墓碑は二人が元服式に参加するために、近江から田光村へ帰る途中、大雪のために遭難し、ここで亡くなったために建てられました。

二本ブナの古木
二本ブナの古木

 ここから谷川沿いの石畳道となります。道にはコナラ、椿の古木があり、谷の左手は早春には真っ黄色の花が谷を埋めます。間もなく正面に一条の滝が見えてきます。谷の下を右にとり、急な坂道を登ります。この坂の途中に地蔵三体があって、地蔵から北へ百メートルほどの窪地にブナの巨木が二本並んで立っていて、幹の太さは両手でひと抱え余りもあり、八風峠の目印となっていました。この二本のブナは昭和三十四年九月二十六日の伊勢湾台風で倒れてしまい、その姿を今は見ることができません。二本のブナは鳥居のように並んで立って、その間を通って八風大明神の碑の立つ峠へ辿りつきました。峠の一帯は花崗岩(かこうがん)が風化して神々しいほどの真っ白の砂場で、「天狗の踊り場」と呼んでいます。八風の碑の裏側に近江側へ降りる道が口を開けています。なんとその上は「シロヤシオ」の高山性のツツジが真っ白のトンネルを作り、近江側の杠葉尾(ゆずりお)村への降り口を示しています。八風峠から北へ二・五キロほど下ると国道四二一号線で、その下をこの程開通した石榑トンネルが通っております。

八風大明神の石碑
八風大明神の石碑

 この峠には、明治四十年までは八風神社がありましたが、神社合祀(ごうし)令により多比鹿神社へ移されて同社拝殿の左手の小高い土山の上に祀られております。

  「伊勢風土記(いせふどき)」が伝える伊勢津彦(いせつひこ)は、久しくこの伊勢の国を治めていました国つ神でしたが、大和政権の雨日別命(あめのひわけのみこと)に伊勢の国をゆずり、「我は今夜、八風を起こして海の水を吹き波に乗りて東に行かむ」と申して東は天竜川から、この川に沿い信濃の国へ通った山が八風山の名がついております。

  この伊勢風土記の伝える事柄を確かめるため、多比鹿神社の氏子の人々が伊勢津彦の痕跡をたどったところ、伊勢津彦は天竜川の河口の三方ヶ原から飯田、松本、佐久そして八風山の麓まで行って、碓井峠(うすいとうげ)を越え、高崎、伊勢崎でとどまっているようです。この伊勢津彦の経路には「天白神」を多く祀っています。昔、多比鹿神社を天白神と呼んでいました。