第399回
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  三滝川の徒渉点
文 郷土史家 佐々木 一
潤田二又の辻の道標
潤田二又の辻の道標

 川に橋の無かった江戸期は、川を流れる水が砂州に潜り水量の少なくなった場所の流れ水を左右に寄せて、そこに両岸の堤から登り口をつけて里道につなげていました。川を渡るために人々が踏み分けてできた狭い道を「徒渉点(としょうてん)」と言い、それぞれの「徒渉点」を「越し渡(こしと)」と名を付けて呼んでいました。三滝川を渡る「徒渉点」があった道を下流の江村から拾い上げてみました。

 平尾道 神森から江村へ 森村から江村を経て平尾へ通ずる。
 黒田越え 森村の西北から黒田、北野へ。
 桑名道、大矢知道 吉沢村城垣内から下村、川北へ通じていて、この道は大矢知道から桑名道、そして亀山道につながる重要な道
 西条越え 吉沢神社前から大強原桜堂へ。吉沢一色越えとも言う。
 西庄部越え 現在の菰野中学校がある広幡神社お旅所の東馬場から吉沢一色へ。
 巡見道越え 広幡神社お旅所西側から川原へ降りて、潤田村島崎へ上り、潤田村の常夜燈籠(とうろう)から西へ巡見道に踏み入れる。

千草の巡礼道(巡見道と重複する)
千草の巡礼道(巡見道と重複する)

 城北の常盤越え 菰野城北の木戸から真北に通じる故に、川原町越えともいう。潤田村の聞稱(もんしょう)寺前へ出て、菰野藩領地の池底村へ通じる。

 如来寺越え 菰野城の乾(いぬい)の方角に当たる如来寺の和尚が潤田村の安楽寺、池底村の興福寺へ通る道であり、如来寺越渡、如来寺道の名で呼ばれていた。和尚だけでなく一般の里人も通り、潤田村の西北の「二又の辻」で巡見道へ入り、千草、音羽村へ通じていた。

潤田土山の巡礼道
潤田土山の巡礼道

 巡礼道越え 水沢、西菰野、地蔵へと来た巡礼道は、地蔵の愛宕明神前で湯の山道と出会いそれより大羽根の松林を北へ横切り、三滝川本流脇の御用林の堤を、大川原へ降ります。この大羽根裏の大川原は本流の三滝川と江野の北側を流れる支流の鳥井戸川を受ける合流点の三角州で、上流から流れ来る砂利、砂が堆積して一面の大川原となっていました。水の少ないところを選んで南から北へと渡ると潤田地の土山へ続く、踏み分け道を通って、音羽道へ入る。これが巡礼道で田のあぜ道を北へたどると、音羽の浄正寺の門前へ出る。鈴を振り振りいく巡礼者も、里人もよく利用した。音羽村で巡見街道へ合流する。ここから先は千草、杉谷、田光、田口、田口新田、宇賀、石榑村、員弁路へ入り遠く聖宝寺へと続く巡見街道であります。

 湯の山道 菰野城の北木戸ご門と川原町筋との四つ辻からが、湯の山温泉への本道でありました。如来寺西のドングリ林を西へ取り、柳林から三滝川の本堤防の南側を新林、大羽根と西へ登り、御用林で本堤防の切り口を越えると三滝川本流へ出る。ここまで登ると三滝川本流は急に川幅が狭くなり、扇状地の赤土の台地の切り口が見えてくる。三滝川は飛び石渡りで越し、広い広い江野が広がる。正面に菰野富士が視野に飛び込んでくる。この道は菰野藩主十世 雄興(かつおき)公も歩まれて『おく山ふみ』の紀行文を書き残している。