第402回
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  芋名月
文 郷土史家 佐々木 一
お月見のお供え
お月見のお供え

 今年の暦をめくると九月の十二日は、お月見、芋名月とあります。暦を見たおばあさんは、おじいさんに呼びかけて「畑のさと芋を籠に二十粒ほど掘ってきておくれ」と頼みます。おじいさんが畑へ行くと白い里芋と紅い里芋が一畝(せ)ずつ作ってあります。紅い芋の方が、炊いて食べるのには旨いので、爺さんはこの春植えた親芋から子芋を離して籠に入れてきました。家に帰り近くの水のきれいな小川で泥のついた子芋の泥を落とします。そして杉の桶へ芋と水を入れます。流れ川につけ桶に杉板を入れて手で回すと泥も芋のひげもきれいに落ちました。もっと多くの芋を洗うときは、水車(みずぐるま)を作り、箱でそれを囲んで、その中に芋を入れて水の力で回すと手間をかけずに、芋がピカピカにきれいになります。そして次は洗った芋を婆さんに渡すと、婆さんは鉄鍋に芋を入れてかまどにかけ、芋に箸が軽くささるようになるまで煮ます。だしと味加減は婆さんの手加減で決まります。まさに家庭の味です。できあがった芋の煮ころがしは、家の自慢の伊万里(いまり)のどんぶりに盛り付けます。盛り付けた芋は表の縁台の上に小机を置き、その上に載せます。芋のどんぶり、鉢に入れた団子、萩、ススキ、ワレモコウをさした竹筒をいっしょに置きます。これは、中秋の名月、まんまるお月様へのお供え物です。そしてもう一つ大切な役目があります。それは「芋泥棒」の獲物です。この「芋泥棒」とは、この日ばかりはお供え物の芋を盗んでもよいと黙認された日で、文字通りお供えの芋を盗むことです。村の腕白(わんぱく)たちは今夜は十五夜、芋名月と承知していて日が暮れると会所の庭へ寄り集まってきます。そして腕白大将に付き従って、家々を回ります。どの家にもお月見用の縁台が庭に出してあって、里芋の他にお菓子を出してくれてある家もあります。また、裏口に竹の棚があり、その棚に置いてある家もあります。獲物となる芋やお菓子の量と置き場所は、月明かりの下、腕白大将が偵察済みです。この「芋泥棒」の方法は年長者から年少者へ授けられ、腕白たちは行儀よく順序を守って盗み食いをしました。芋泥棒の起源はさだかではありませんが、お月見のはじまりは中国から伝わり、遠く平安時代には貴族の間で観月会として行われており、それが庶民にも広がり、今も続けられておるようです。

お月見は昔と変わらず、子どもたちにとって楽しい年中行事のひとつです
お月見は昔と変わらず、子どもたちにとって楽しい年中行事のひとつです

 さてさて、里芋の原産地はアジアの熱帯地から日本へ伝来したようで、日本へ来て他種のイモ類と掛け合わされ、重要な根菜類として品種改良が進みました。里芋は春の彼岸の頃に親芋を植えると初秋には一株の親芋から十粒ぐらいの子芋がなります。この実のなり方からか「里芋の子沢山」と言われ、栄養価も高いことからたくさん栽培されました。そして、里芋は茎も食用にできるものがあり、芋と茎を一緒に食べられる芋茎(ずいき)は、産褥(さんじょく)期の婦人に食べさせるとお乳の出がよくなるとも言われました。