第408回
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  奥郷の寒椿 天然記念物指定の回想
文 郷土史家 佐々木 一

 今も三重県指定の天然記念物として一月から三月頃にかけて紅色八重の見事な花を見せてくれる奥郷の「獅子頭」は関西では「寒椿」と呼ばれる品種です。

 この寒椿があるのは奥郷の馬嶋家の庭です。これは桑名藩主松平忠堯(ただたか)に文政六年武蔵の忍への移封の命が下ったおり、伊勢領の内の四万五千石余の村々が忍藩分領地として残されました。そのため大矢知村にこの伊勢領を所管するための陣屋が設けられました。そこで陣屋に勤める藩士の医療のために藩の侍医が必要となり、藩主忠堯のお声がかかりで尾張の馬嶋村から眼科医の馬嶋淳径(じゅんけい)が大矢知陣屋に近い千草の奥郷へ移り住み、この椿を植えたといわれています。また眼科の御守仏として薬師如来像も持参し、小堂を設けました。その側には洗眼水を汲む井戸も整えたようであります。この洗眼水が薬師仏のご利益となり奥郷の馬嶋(まじま)眼科医も多くの患者を治療しましたが、時は移り明治のご維新となり、医学も東洋医学から西洋医学主流の時代へと変わりました。奥郷の馬嶋家も眼医者から小学校の先生となり、変わらないのはこの寒椿だけでした。この寒椿は朝明川近くの水はけのよい砂土壌ですので大きく育ち、その可憐な花は奥郷の人々に愛されて仏花に愛用されました。

 前置きが長くなりましたが、この奥郷の寒椿が三重県指定の天然記念物に指定しされたときのことを紹介します。

 昭和四十九年十二月一日の覚書に「遠路電車を乗り継ぎ東京大学の山崎敬先生、東京農工大の箱田直紀(はこだなおとし)先生のいずれも椿の研究学者二氏がお見えになった。早速、奥郷の馬嶋家へご案内、椿の幹まわり、樹高、枝張りなどを計測してもらう。お昼家に戻り、昼食を摂っていただく。その後菰野の歴史のあらましなどを縮尺二万五千分の一の地図を使い報告した。さらに町内に分布するワビスケ、ヤブツバキの概要十九点を報告した。」

 そしてこのとき検分していただいた植物学の権威である山崎、箱田両先生の所見は以下のようなものです。

 「この獅子頭の古木は野生のヤマツバキ、ヤブツバキを除き、園芸種としては原型種の母本であり、今日園芸学者の研究の中で全国的に分布するサザンカとツバキの血を引くと考えられる獅子頭がどこから生まれたものか、どの様な系統を経て今日に至ったのか残念ながら不明であった。今日この古木を実見して、この木あたりが、その原型に近い母本ではないかと想定する。大学の研究室へ持ち帰りさらに血筋を追求するが、園芸種の椿の中で珍しく、また樹齢からも保存策を講じなくてはならない貴重なものである」

 この所見を添え、菰野町内や隣接市町村に現存の「椿の一覧表」などの必要書類を作成し、、本草学に通じていた漢方医でもあった馬嶋家が移住の際に植樹したものと推定されることなどの由来を申し添えて、県への天然記念物指定の申請を行いました。三重大学の矢頭献一(やとうけんいち)先生の審査を受けて県の天然記念物に指定されたのは、昭和五十一年三月三十一日のことでした。

麹作りをするおばあさん(昭和49年撮影)
三重県指定の天然記念物であることや由来を書いた看板と見事に花を咲かせた寒椿