第411回
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  千草のお不動さん
文 郷土史家 佐々木 一

 朝明川の上流の一ノ瀬に千草水力発電所が設置されております。北勢地方の河川で水力発電所があるのはここだけであります。昔はこの一の瀬に千草大湯水の用水の取り入れ井堰が設けられていましたが、現在は発電所のタービンを回転させた余水が千草用水になっています。ここから二百米下がった字名片倉に不動明王を祀る堂が建立されています。町内でも水源の滝の付近に不動尊を祀るのは、この千草集落と菰野だけであります。千草側にこの片倉の不動と不動滝の嶽不動、片や菰野側には蒼滝不動、宗利谷不動、滝谷不動、金谷不動の4カ所です。水源の守護と山林火災の鎮めとして堂を各区が建立しており、菰野側では不動尊祭を毎年田植えが終わる六月二八日に定められています。

千草不動明王石

 ところで古代、中世の昔に国見岳の中腹に冠峰山三獄寺という天台宗の寺が北勢地方の村人に厚い信仰を受けていました。ここにこの寺が創建されたのは本山が比叡山の頂上に設けられ京の都を鎮護し威光を知らしめている役目としているのと同じように、東国への千草峠、八風峠と伊勢国に天台宗の覇を示すとともに、この地を押さえることが目的であったようです。現に藤原の聖宝寺、垂坂の観音寺、日永の円楽寺、高角の金剛寺など北伊勢の天台寺院はその支院とされていたようです。隆盛を誇った三獄寺ですが、信長の伊勢侵攻の兵火に焼き尽くされて滅びました。寺は標高八百米の高地で復興ができず、堂の基礎の石積みと五輪の墓石が残るだけとなっていますが、国見岳の不動滝には石造の不動尊が祀られています。江戸時代に入ると菰野藩主が湯の山温泉の再興と湯治客の為に薬師堂を建て、比叡山へ願い出て最澄の流れを汲む天台宗の冠山三獄寺を湯の山温泉の湯元に再興しております。このような歴史から、三獄寺は元の場所に復興されることはありませんでしたが、不動信仰は脈々と受け継がれております。

 さて先にも書いたように千草は朝明川本流の右岸の字片倉に堂が建っていますが、洪水の時はよくこの所で決壊するので、その要所を不動尊に守ってもらう為です。地名の片倉は片方が流水でえぐられている所を言います。大昔はここまで東海湖の波打ち際で、片倉の左岸は東海湖があったころに淡水に棲んでいた貝の化石がよく出土するところです。ここは海の時代があり、淡水湖の時代があったことを貝の化石が物語っています。

 千草のお不動さんのお祭りは田植えの前の頃に行い本村、岡、福松、奥郷の村々の若衆が衣装を身にまとい俄芝居を面白おかしく行ってお祭りを賑やかしたそうで、中でも福松村の内田順若は上方芝居が得意で村の若衆に教えて千草の自慢にしたそうです。

千草不動明王

 奥郷は本郷の千草が新田開発してできた村で赤水や北野、下村、桑名領の村々から上の千草野へ移り来て平地の野を開墾して新しい村を作り上げました。本郷の千草を凌ぐほどの立派な集落になり昭和五十五年の植樹祭には天皇皇后両陛下がお越しになって立派な植樹祭が行われました。