第415回
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  横山家の歴史 その二
文 郷土史家 佐々木 一

 横山久平は横山久左衛門の子として嘉永五年(一八五二)に生まれていますが、時代は江戸の幕藩体制から明治の御維新となり、江戸時代の土方藩政から大きく行政制度が変更されました。はじめ戸長役場の制度、明治二十一年(一八八八)には「市町村制」が公布されました。その市町村制のなかで菰野地域では、それまでの二十一村が菰野村、鵜川原村、竹永村、朝上村、千種村の五村に統合されました。久平氏はその菰野村の第四代の村長として同三十二年(一八九九)九月一日に就任し、同四十一年(一九〇八)一月二十四日までその任を務めています。この頃、菰野村は戸長役場時代から使われていた東菰野の役場を引き続き菰野村役場と看板を書き換えて利用しておりましたが、横山村長は役場の新庁舎を建設しています。またこの役場前に日清、日露戦役に出征して戦死した軍人の忠魂碑を建立しています。

 久平の子、横山一格は明治十三年(一八八〇)三月十九日に中菰野村に生まれています。一格は仙台の第二高等学校を経て京都帝国大学医学部を卒業し、大阪の湯川胃腸科で副院長を勤めた後、明治四十一年(一九〇八)に二十八歳で名古屋に胃腸科病院を開院しており、その後大きく発展を遂げ、現在に至っています。なお、一格氏は名古屋に病院を開院するだけでなく、郷里である中菰野でも病気の村民を診ることもあり、村民から慕われました。そのようなことから一格氏の名は菰野だけでなく、名古屋でも評判になり、名古屋市議を経て、大正十三年(一九二四)には三重県の選挙区から衆議院議員として当選しています。

庭を臨む茶室
庭を臨む茶室

 さて昭和二年菰野小学校に洋式のモダンな講堂が完成しました。一格氏はこの完成を祝い、グランドピアノを寄贈しています。グランドピアノといえば現在でも大変高価なものですが、当時はグランドピアノ一つで立派な母屋が建つほどだったそうです。

 横山家先代の秀吉氏は鈴鹿の白子に生まれ、神童と言われる秀才青年でした。これが一格氏の目に留まり、津中学校、第八高等学校、東京帝国大学に進学して医師の免許を得て、一格氏の一人娘、ひさ尾さんと結婚し、横山家を継いでいます。

 さて、秀吉氏は故郷である鈴鹿の白子に別荘を保有していました。この白子はかつて鈴鹿藩二万石の領地でありましたが、白子には紀州徳川藩六十万石の代官所があり、ここに伊勢に棲む鷹、鶴の生息に関する鳥見役人が置かれていました。菰野の城下町の入り口の松並木に飛んでくる鷹や鶴も白子の鳥見役人の支配下にあって紀州藩から餌代が給付されたこともありました。ところで、この秀吉夫妻も共に温厚誠実な方で、私も親しくお付き合いさせていただきました。

※「横山家の歴史」は三回のシリーズで掲載します。また、庭は非公開となっています。

舟石
庭の中でもっとも重要な舟石。舟出を示し戸口を目指しています