第418回
 広報こものトップ >> 歴史こばなし

バックナンバー

  川井戸
文 郷土史家 佐々木 一

 今日は川井戸についてお話してみましょう。まず菰野の古老から聞いた川井戸の話では、川井戸は集落の位置が扇状地にあって、水源が深く井戸を掘ることが困難で、従って流れ川の水を流して生活用水に利用していました。菰野領下の西菰野村、中菰野村では村落の中心に流れ川を設けて、その川は湯の山口の募(つのり)に取水口を設けて、片倉、地蔵、中菰野と流し、田んぼの時期には水田の灌漑(かんがい)用水に当て、普段は川井戸の用水として水を流し、村の家ごとに用水の口を設けて生活用水に当てていました。各家庭は畳一枚敷の使い場を設けて米を研ぎ、野菜を洗い、風呂の水を汲んでいました。また一度引き込んだ川井戸の水は再び、元の流れに戻り、下の家々に引き込まれますので、子どものおむつなど汚れものは別に村共同の洗い場を設けて、川井戸の水は汚さないように気を付けていました。さらに、村々に川井戸番人を定め、村から藁(わら)で編んだ半蓑(はんみの)を支給され、この蓑が番人の目印で、大雨や台風が来襲の後は水路に設けた川水戸を見廻り、保全管理を行いました。そしてこの番人には村の庄屋からお米の俸給を支給してもらい、村庄屋は年に一回、募の取水口と川を見廻り、川井戸の保守に当たりました。

 一方、千草村の場合は灌漑用や生活用水に使う水を本村、福松、岡、奥郷村ともに朝明川の、一の瀬の大石の側に大松丸太を伏せて、本流の水を止め、頑強な取水井堰を設けて取水し、その水流を村ごとに公平に流れるよう石で分水して下へ流していました。特に生活用水に利用する川井戸には水漏れや汚水の混入が無いよう花崗岩の割れ石で補強して下に流しました。千草の本村では各戸に川井戸、その洗い場を設けました。川井戸の洗い場には松の半割れを伏せ頑丈に作っておりました。引き込んだ川井戸には川の流れを伝って入ってきた、フナやモロコが棲み、毎朝、顔を洗い、口をすすぎに来る家人を待っているかのように川魚が寄ってきたものです。川井戸の洗い場は屋外にあり冬になると寒くなりますので、防風のために杉皮で葺いた片屋根が設けられました。

 川井戸の流れは福松まで下ると各々の洗い場に一坪大の池が作られ、洗い場は庭石囲いをして木々をあしらい、池庭に作りました。

 川井戸はみなさんが思い浮かべる普通のつるべで汲む井戸の様に汲む手間要らずで、洗い物や防火に重宝でした。 また、千草あたりの川井戸の水路に高低差のある集落では、水流に勢いがあり、水車を回すことができましたので、直径六尺か九尺または二間の水車を設けて米つき、麦つき、うすずりの作業に利用して、農作業の動力源としても川井戸を活用しました。

福松の川井戸
福松の川井戸

 千草の北の杉谷でも焼合川から水を引き、その先を本村の辻で水路を曲げて浄水をうまく廻して川井戸に利用しており、江平、田光あたりでも川井戸の流水を生活用水と村の防火用水として活用されておりました。集落の中に絶えず清浄水が流れていることは村そのものが清潔ですし、絶えず火を使う鋳物業が盛んであった田光では、万が一の防火用水として安心感もあったことでしょう。