第425回
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  関東大震災のこと
文 郷土史家 佐々木 一

 九月一日は防災の日でが、これは関東大震災にちなんだものです。

 大正十二年九月一日の正午の直前、関東地方は突如激しい大地震に見舞われました。この地震で、家屋が倒壊し、その後発生した火災により、およそ10万人の死者がでるなど、その被害は甚大なもので、古い江戸時代や明治時代の情緒も焼き尽くされてしまいました。

 さて、この度、小島区の元区長、増田高次さんから貴重な資料の写しを頂きましたので、それらを踏まえて、この地域と関東大震災の関わりについて紹介しようと思います。まず、関東大震災という国難とも言える状況の中で、全国各地から義捐金が集まりました。小島区の震災義捐金割当簿によると日付が大正十二年九月十四日となっており、震災から二週間を待たずに義捐金を集めだしています。

 そして、当時の三重郡長の加藤信太郎から郡民に発せられた文書にはおよそ次のようなことが書かれています。「この度の東京、その他関東地方の震災は、ご承知の通り、我が国有史以来の大惨事でありまして、多数の不幸な罹災民を出したということは実に遺憾の極みであります。この不幸な人々の救済につきましては全国一致でこの事に当たりました結果、今日では非常に急な部分だけについては大体に方法が立ったような程度になりまして、同胞共済の大なる力の現れたことは結構であると存じます。この時に当たりまして我が郡では、郡民諸君の燃えるような御同情の発露によりまして、迅速に予想以上の成績を挙げ得たことは実に感謝に堪えぬ次第であります。

 しかし、これでその仕事が終わったわけではありませんから、今後に於いてまた幾多も皆様の御同情を仰がねばならぬことがあることだと存じます。

 翻って考えますに、この度の震災に関する大損失は決して関東一地方の損失でなく、実に国家の大損失でありまして、我が国の富は半減されたと云うも過言でないと考えます。この大損害を回復して、事前の国力と致すことにつきましては決して一部の人士や一地方の人々の手によってできるものではありません。実に挙国一致でこのことに当たらねばならぬ次第であります。

 よく考えますと我々は幸いに直接この大災害は免れてはおりますが、皆共々にその災害を分かち受けたという思いを持って、真剣に事にあたり、一日も早くこの回復を図らねばならぬと考えます」と呼びかけています。

 このことからも関東大震災が未曾有の国難であるという危機感や義捐金が予想より多く集まったことへの感謝、今後も復興に向けて全国民が一致して事にあたっていかなければならないという決意がわかります。また、この文書の後には、関東大震災の被災地で一部の市民によりさまざまな暴力行為や犯罪行為が行われていると書かれていましたが、このことからは震災の後に、その混乱や不安から被災地で広がった流言飛語が、この地域にも伝わってきたことや、今のように情報伝達手段の発達していなかった時代にその情報がそのまま鵜呑みにされていたことがわかります。

 また関東大震災の直後には、関東に勤めに出ていた人たちも、こちらの方に一時避難してきていましたし、菰野はほとんどが農家でしたので、関東に親戚があれば米などの食料品を送っていたようです。関東大震災はよほどの大事件でしたので、震災から十年ほど経っても、関東大震災のことはよく話題にされました。