第431回
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  竃 神
文 郷土史家 佐々木 一

 毎日ご飯を頂き、茶がまでお茶をわかす、暖かいお風呂で体をぬくめる、休息する、牛の飼葉を炊いてやる、そしておかずの煮ものをするのも竈(かまど)であり、竈は昔の生活にはなくてはならないものでありました。土間にはとにかく大きな口をあけた竈があり、薪や柴をその大口の中へ飲み込み、真赤な火を燃して力んでくれる。そんな様子から真赤に燃えて力を表す竈を「おくどさん」と呼びました。

 上(かみ)のくどと呼ぶ「おくどさん」は台所に二つ並んで、大口は台所に向け開いていて、寒い冬は爺が右に坐り、婆は左に坐り、大口に両手をかざして手をあぶったものです。主に薪をたいて、台所をぬくめる薪材は御在所、鎌ヶ岳などの高い山の柴山で大きい火の立つ良材を選んでとってきました。下(しも)のくどと呼ばれる「おくどさん」にはそれより低い柴山で刈った柴を利用しました。その柴は山でしばらく乾燥して軽くしたものをたばを結って湯の山道へ背負い出し、肩引きの荷車に乗せて家へ運びました。さらに時をおいて軽くして、はしごで屋根裏のつしへ上げて保管し、こうして一年の燃料として貯蔵しました。

 家畜用の飼葉竈やお風呂の燃料は、里山、竹やぶの掃除をしてまかないます。この竈の燃料は農閉期の秋から冬に山へ通い必要の数を整えます。雪の降る冬の来客は、上のくどへ招き、茶釜の下、お釜の下で、どんどん焚き火を焚いて、来客のあいそを致します。

 お風呂の前では莚(むしろ)を敷き、風呂の湯を温めながら、子どもを抱いてぬくめて遊びます。爺や婆のむかし話を聞けるのはこの時です。風呂場の側に柴小屋を備えていて、風呂桶が高いので足置きに平らな石がすえてありました。風呂場には洗場はなく、茅葺(かやぶき)屋根の家では煙突もないので、煙は家の中をつしへ抜けてゆきました。今の家のように機密性はよくなく、隙間だらけですので、それで大丈夫でした。

 このように生活と密着した竈は大切にされ、竈神のお札を祀(まつ)りました。菰野あたりの竈神は、多度神社の一目連さまか鈴鹿の山本の椿さんのてんぐさんに、新年かお祭りのときに参拝してお札を受けてきました。竈神のお礼は竈の上で南北に家を支える太い梁の、みそかけの平な面にはりつけて竈の守り神として崇めました。

 さて竃を築く方法ですが、住家を新しく新築する時は台所、勝手向きの完成した頃に、どこの村でも竈の主原料の壁、砂、石の採集の数、量を竈職人の左官に相談し、その指揮を受けます。殊にかべ土は大切でその採集地は、古老によく聞きました。菰野は、きらら山のふもと片倉新田の寺坂山の土取場と決められていました。この壁土は赤壁ですが耐火性にすぐれて大切にされておりました。新壁はねばりがなく、採土して一年ほど日と風にさらし、よく乾燥させて異物を除きます。それに倉の古壁などを混ぜるとねばりがでます。大切なものはスサで新藁(わら)ではだめです。古縄、古ミノなども乾かして細かくきざみ、紙の袋に入れて貯蔵しておいたものを使います。竈の階層はノシ瓦を二つに割って壁を間にはさみ積み上げます。一番上は壁土にススを混ぜ、ウルシでこねた壁を置き、丁寧に鏝(こて)でなぜ仕上げます。竃全体が黒く光っているのは、ススとウルシの工作の現れであります。茅葺屋根の家は煙を好み、家全体を煙が消毒してくれ屋根裏に虫がわかないと喜びました。また猫がかまどを好み、中で寝ているのが、火をつけられて火だるまになるまいと飛び出してきて人も猫もびっくりしたものでした。煙り出しの煙突は常滑で焼いたものを用いました。江戸で修業した南川清市左官は江戸左官と呼ばれて、かまど作りの名人で、良く燃える加減の良いかまどを作ってくれました。