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町長雑感

学校黎明期の苦難

−伊勢暴動による打ち壊し−

 前回の拙稿では、町内各小学校の起源について取り上げました。町内の学校の多くは、明治6年から8年の間に順次設置されていきましたが、その出鼻を挫くような出来事(=伊勢暴動)が起こってしまいます。伊勢暴動とは、明治9年12月に起こった明治政府が実施しようとしていた地租改正に反対する一揆であり、現在の三重県松阪市に端を発して、愛知県や岐阜県にまで拡大しました。当然のことながら、この一揆は三重県南部から北上してきた訳で、菰野町もその暴動の渦中に巻き込まれることとなりました。

 この暴動の打ち壊しの対象となったのは、役所や銀行、郵便局などに加えて、学校がその対象となりました。地租改正が税制に関する制度改正であるので、その不満の矛先が、役所や税納付の窓口であった銀行に向かうのは、ある程度予想の範囲であるものの、学校までが打ち壊しにあったことは不思議に思われるかも知れません。伊勢暴動の背景の一つとして、貧しい農民にとって学校費や教育費が大きな負担となっていたことが挙げられており、そのことが打ち壊しを引き起こすに至ったと思われます。加えて、当時の時代状況として、子どもは農作業や家庭における貴重な労働力であったため、子どもを学校に行かせることによって、世帯の労働生産性の低下を引き起こし、そのことが学校に対する不満を増大させたとも指摘されています。

 このように町内の学校は、一部難を逃れた学校もあったと言われていますが、焼き討ちや打ち壊しなどの甚大な被害に遭いました。特に、川北学校は、建設中であったにも関わらず焼き討ちに遭い、悲劇的な運命を辿りました。税負担に対する不満から役所や学校を打ち壊した結果、その後さらに税金を使ってそれらを再建するというこの悪循環を皆さんはどうお考えになるのでしょうか?ともあれ、先人の皆さんのご努力により、その後、各学校は再建され、現在に至っています。こういった歴史を含めて学校は地域を担う存在であることを再認識致しました。

『千種小学校開校百年』より、伊勢暴動の版画
『千種小学校開校百年』より、伊勢暴動の版画


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