三重県菰野町公式サイトlogo

トップ >広報こもの(バックナンバー) > 2021(令和3年)年6月号(NO.730) > 郷土史・風俗

郷土史・風俗 第87回

山論や水論を記録した絵図
菰野で起こった水論

 森村(現在の神森区)の余水を智積村へ通水していましたが、度々、用水権をめぐって論争が起こり、天明年間(1781~1789年)の論争では、以前と規定を変えるかたちで和談となりました。その後も度々、論争が起こり、昭和6年(1931年)3月28日、安濃津裁判所において和解が成立しました。

 下村と吉沢村では文政13年(1830年)2月、竹谷川の取水分水量の取り決め規定について話し合いが行われました。その仲介人に菰野藩は鵜川原、随法寺の住職の弟であった円倫を命じ、落ち着かせたという記録が残っています。

山論や水論を記録した絵図
▲山論や水論を記録した絵図

このページに関する問い合わせ先

企画情報課
電話番号:059-391-1105
ファクス番号:059-391-1188