三重県菰野町公式サイトlogo

トップ >広報こもの(バックナンバー) > 2021(令和3年)年7月号(NO.731) > 郷土史・風俗

郷土史・風俗 第88回

山論や水論を記録した絵図
漢学者 野呂金貞(のろきんてい)

 野呂金貞は、弘化2年(1845年)3月12日、三重郡吉沢村に生まれました。幼名を見弥、のちに脩德・金貞といい、号を士幹・重渓、山陰相園・養甫と称しました。父は見弥・清粛といい、菰野藩の御典医(ごてんい)※を務めており、絵が巧みで「菰野城」と「菰野城下大絵図」を描いています。野呂家の遠祖、見理は土方雄高に仕え、吉沢村城垣内に居住し、医術をもって代々菰野藩に仕えていました。金貞は文久2年(1862年)に家業の医家を継ぎ、十全堂と称していました。

野呂金貞の自画像
▲野呂金貞の自画像

※御典医 幕府や大名に召し抱えられた医者

このページに関する問い合わせ先

企画情報課
電話番号:059-391-1105
ファクス番号:059-391-1188