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郷土史・風俗 第95回

郷土史・風俗
藩校督学 南川蒋山(みなみがわしょうざん)

 南川蒋山は、天明7年(1787年)17歳で父の家職を継ぎ、寛政元年(1789年)に師の十時梅崖(とときばいがい)に従って学友の野呂雲山らと長崎へ向かったという記録が残っています。

 寛政4年(1792年)には自営の酒造業で法に触れて大阪を追放になったことで四日市市川尻に隠棲していた大阪の文化人、木村蒹葭堂(けんかどう)に菰野から会いに行き談義を交わしたとされています。寛政5年(1793年)には儒官として江戸へ向かい、寛政9年まで江戸で在勤しました。

 享和3年(1803年)藩の許しを得て京都へ修学し、丘本遜斎(そんさい)に儒学を、吉益南涯(よしますなんがい)に医学を修めました。そして、文政3年(1820年)3月26日に自宅近くの籾蔵跡に半官半民営の麗沢館を創設しましたが天保3年(1832年)の冬、蒋山は病に罹り、天保4年4月9日に享年63歳で亡くなりました。

南川蒋山の書
▲南川蒋山の書

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